どうか今は笑ってくれないか

なるようになるって!

新しい未来を迎える今、古い私へ

本が好きだ。

私は漫画も雑誌もすべからく愛しているけれど、今回は小説に限った話をしようと思う。
ハードカバーの煌びやかで重厚でありがたみのある感じもとても好きだが、どちらかというと文庫本のサイズ感とつるりとした感触の方が好きだ。
帯が付いてると理由もなくテンションが上がるし、表紙にはいつも目を奪われるし、後ろにあるあらすじや解説を見るのも大好きだ。
だから本屋さんはいつだって楽しいし、目当てがなくたって行くと必ず長居してしまう。単純に、見るのが楽しいからである。
そのくせ何も買わずに出ることもままあるので、生粋の本好きとは名乗れない。ああ私の悪い癖(突然の右京さん)。


先日、仕事が少し早く片付いたので、本屋に立ち寄って文庫本を3冊購入し帰路について、疲れていたので本を読むこともせず、泥のように眠った。
仕事が忙しく、不幸自慢ではないがろくに休みが取れない状況が続いている。本を読む時間なんて取れる気配すらない。そんな暇があれば、購入した先日と同じように間違いなく布団に入って死んだように寝る(じゃあなんでブログ書いてんだよと思う人もいるだろうけど、これはもう新陳代謝のようなものと思って欲しい。悶々とした思考を文章にすることで整理がつく人間は一定数いるのだ)。
その際購入したのはエッセイと詩集と、それから小説。どれも帯がついていた。
小説の方は元々好きな作者のもので、欲しかったけど買いそびれていたものだったから即決。エッセイと詩集は私が今まで見たことの無い作者だったけれど、表紙と帯、それからタイトルがユニークで琴線に触れたので購入した。
頭の中で2000円いかんぐらいかなー、と簡易的な計算をしつつレジに向かえば、2000円と端が出た。消費税8%が頭に入ってなかったなとそこで気がつく。10%に値上げすることを思うと心底憂鬱になるけれど、計算のしやすさだけでいえば10%の方がいっそ楽だよなと思うのは私だけではないだろう。閑話休題
決して高所得者ではないし、どちらかといえば間違いなく低所得者の方に分類される身分ではあるけれど、それでも高いとは思わなかった。当たり前にその金額を支払って、ホクホクとした気持ちを抱えて書店を出た。ああ楽しかった。心からそう思った。


と、いう話を、昨日車内で後輩相手にした。たわいない世間話。の、はずだった。
いや確かにそうだったはずなのだけれど。むしろちょっと楽しみができたんだよぐらいのノリで話したのだけれど、後輩はちょっと不思議そうな声色でこう言った。

「本屋なんかもう何年も行ってないですね、見るとしても電子書籍だし。本って場所取るし、第一高いじゃないすか、ハズレだったときにショックが一際でかいっていうか。本ってなんか古いしダサくないすか?」

後輩のこの一言で、私は一気に思考の海を漂うハメになったのだ。
まあその時は私の中にあるスイッチがオンになってたので、ちょっとお叱り申しあげたけれども。…優しくしたよ???いやホントに。


音楽業界でもそうだけど、時代が急速に動いて、個人の意見ではあるが、今や「電子時代」といっても過言ではないほどに電子が主力になっていると思う。
紙やCDといった容量も容積もあるものが、「ファイル」という小さなデータとなって、大きな本棚ではなく、スマホやパソコンといった機器の中に収まるようになった。

核家族化が進み、少子高齢化も進み、高齢者若者問わず、1人で暮らしている人間が多くなったと思う。当然それに比例して、賃貸住宅の人が多くなっているはずだ。
長寿アニメのひとつである「サザエさん」のような家族は、田舎は別として早々お目にかかるものではない。
実家暮らしの方の話はここでは一旦置いておいて、余程の高所得者でない限り、賃貸住宅に住むほとんどの人が当初から向き合う問題がある。

つまりはそう、「スペース」だ。

私の住まいは大都会ではまったくないから、いわゆる四畳半とかそういう極端に狭い部屋というわけではないのだけれど、それでもやっぱりこのスペースにはいつも頭を悩ませる。どこに何を置くか、それによってまた部屋が狭くなる、いやしかし。いつもその戦いをしている。


服だって好きだし、化粧だってするし、雑貨も好きだ。食べることや飲むことも大好きで、仕事関連の物もたくさんある。恥ずかしながら我が家にはものが溢れかえっている。
そしてそれらと同じほどのスペースを、CDやDVD、それから上記で語った本たちが陣取っている。私の部屋には本棚が沢山あるのだ。それらを置くための本棚が、たくさん。そしてその本棚に空白はない。
それらに頭を悩ませることがない訳では無いけれど、滅多なことがない限り、買わなければよかったと思うことは、ない。少なくとも私は。

それを踏まえて、話を元に戻そう。
後輩と私は一貫して仕事で係わっているだけに過ぎず、プライベートで関わることは一切ない。彼がどうしようが知ったことではないし、逆もまた然りだろう。なんだったらキャットファイトを繰り広げることもままある。彼は何かにつけて私のことを否定したがる側面があるので、今回のこれもその延長線上だったのかもしれない。
そんなふうに、いつものような反論じみた物言いで放たれた言葉はしかし、確かに私の中に波紋を呼んだのだ。


電子書籍を否定する気は一切ない。
私のスマホの中には漫画アプリが入っているし、漫画ではあるが電子書籍で購入した経験もある。小説だってスマホで読むことだってある。
実際、便利で手軽だ。形のない分いくらか安いし、現実として嵩張ることも無い。1冊買っても10冊買っても、現実の本棚は空のまま。それ1台に全てが集約され、いつでもどこでもパッと好きなものを開いて読むことが出来る。なるほど文明様様だ。
音楽に至っては1曲だいたい250円、下手したらガチャガチャよりも安い。流行りの曲をお手軽に購入してダウンロード。
カップリングもなく、それ単体だけ楽しむ。推しているアーティストでなく、その1曲だけが気に入っているのなら確かにCDを買うよりよほど効率的で合理的だ。

歌い手や書き手がどれほどの思いを込めても、毎月、毎週、毎日のようにたくさんの新たな作品が一斉に画面に並ぶ。いくらかの容量にまとめられた、2次元化したファイルとなって。
膨大なデータに囲まれた世界。私はそんな生活に慣れながらも、どこか寂しさを感じずにはいられないのだ。


本屋もCDショップも、昔に比べたら激減しただろう。こんな時代だ、ある種必然とも言える。
ゴールデンボンバーがいつだったか「CDが売れないこんな世の中じゃ」という曲を出していた。嘆きと怒りと、そんな時代でもそれでもやっていくんだという覚悟のようなものが伝わってくる1曲だ、気になった方はこれを機に聴いてみてほしい。
そんな風にネタになるぐらいには、「娯楽品」が売れなくなっているのは間違いないだろう。
ちなみに私は上記ふたつとも大好きだ。店のレイアウトや陳列、オススメに記載された説明文。それぞれのコーナーの特徴。それらを見るのはとても楽しい。丁寧に作られた場所は見ているだけで尊敬に値する。見るだけで楽しい、私にとっての遊園地。いやごめんさすがにこれは盛った。でも楽しいのは事実ですハイ。

時代の需要と供給、というものがある。流行り廃りがあるように、時が進めば求めるものも変わる。当然だ。
不景気で、私のように思うように時間が取れない人はたくさんいて、モノは溢れてるけど、現実的にも心境的にもスペースがない。そんな時代に、私達はいると思う。


そんな時代でも、もとい、時代関係なく。私は本が好きだ。付け加えると、CDも同様に大好きだ。
表紙の色彩や光沢、帯のお得感、紙の匂いや手触り、ページを捲る音。終わっていく実感、読後に鳴るパタンという特有の柔らかな響き。
没頭できる内容に付随するそれらすべてを、私は愛してやまない。CDだってそうだ、ジャケットに施された創意工夫や歌詞カードだって、どれもこれも大好きだ。
時間が無くたって、いや時間が無いからこそ、それらは私を救ってくれる。食べる気力もなく、体はクタクタで眠いはずなのに眠れない日々の中で、それらは確かに私に「感情」を齎してくれた。


いつだったかこれも忘れたが、Twitterである呟きを見かけた。確か3DSのソフトだったと思うが、最近のゲームソフトには説明書がないものがあるという。ソフトに備わっているし、印刷代などの削減も多少なりとあるのだろうが、それがなくなったというのは私にとって少なからず衝撃的だった。
説明書に書かれてあるキャラクター紹介なんかを見るのが好きだった。帯が好きなのも多分似たような感覚だと思う。
そういうものが、少しずつ失われていく。それは、とても寂しい。とてもとても、寂しい。いつかは慣れると分かっているからこその感傷なのだろうけれど。

色んなものが削ぎ落とされていって、最終的に残った「完璧なモノ」とやらを、果たして私は受け入れられるのだろうか。そんなことを思う。
電子書籍が悪い訳ではもちろん無いし、オタク気質と言われればそれまでなのかもしれないが、それでも私は形あるものの方が好きだ。たくさんの作り手が係わって織り成したそれらが、私は好きでたまらない。ボロボロになったって、それごと大事にしていきたいと思っている。


そして何より否定したかった(実際反論しまくった)のは、本がダサいとかいうその意味がわからなすぎる偏見極まりない意見だ。
人生において何かを始めるというのは楽しみやドキドキ、少なからず不安が付き物だ。だけれどその分労力がいるし、口で言うほど簡単でもない。いや簡単なんだけど、決して楽ではない。

ゲームや音楽、それから本は、手軽にその「始まる楽しみ」が味わえる贅沢な嗜好品、だと私は思っている。
物語に一喜一憂して、時に教養を得て、疑問を呼び、苦悩しつつ、呑まれながら、読後に一丁前に善し悪しを考えて、それから誰かに感想を言いたくなる。SNSが発達した今は、それがきっかけで知り合える人だっている。
まさしく「心を潤してくれる、人間の生みだした文化の極み」だろう。エヴァ劇場版、複雑な心境で楽しみにしてます。


便利で手軽でたくさん収納出来る、魔法のような電子書籍ドラえもんに憧れ、ドラえもんがいる未来を夢見た子どもの頃の私は、きっとこれに目を輝かせたことだろう。
けれど、ドラえもんがいないことを知り、それでも、いつか遥か遠くの未来で実現するかもしれないと夢想する大人の私は、間違いなくたくさんの紙と人の手によって造られた本を見て生きてきた私だ。
紙の、モノの時代ではなくなりつつある今でも、それを買い続ける所存である。
「データ」は素晴らしい。だけど、それと同じくらいに、「紙」だって素晴らしいのだ。

いつ読めるかはまだ分からないけれど、3冊の本を購入したことを後悔はしていない。面白くなかったら、ちょっと悔しくはなっちゃうだろうけど。
でも、また本を買うだろう。新しい世界を知るために。始まりの楽しみを味わうために。
モノを買い、楽しむのは私の生きがいのひとつである。


この記事を見てくれたあなたへ。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
よかったら、気が向いたらでいいんで、本屋やCDショップに出向いてみてください。
きっと楽しいから。