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天気の子を見てきた話

ぼくのなつやすみ

 

初めましてあるいはお久しぶりです、夏です。

諸事情あって突如休みが出来たので、気分転換となつやすみのおもいでとして「天気の子」を見てきました。

盆最終日だしそんなにいないでしょ!と高を括っていた私を嘲笑うような満席状態で、いつも公開初日から大分経過した平日を選んで行っている私としては中々の苦痛でしたが、そんなもの吹き飛ぶぐらいの良作品だったので、読書感想文的に綴ろうと思います。

毎度繰り返す言ですが、これは私の解釈であり感想なので、これが正しいという訳でもなければまったく真逆のことを思われる方もいらっしゃると思います。それはそれとして己で以て綴るなり語るなりしてくれよな。私に何かを言っても知らねえかんな。解釈違いは回れ右してまた来世。

公開開始から約一か月経つ状況で、観られた方もたくさんおられるとは思いますが、思いっきりネタバレを含みますのでご容赦ください。

 

 

まず私は、新開誠作品にこれといった思い入れがあるわけではありません。君の名は。も結局TV放映で初めて見た程度の人間です。

君の名は。は単純にいい話ときれいな映像だったなあという感想で、いい作品だったけど、ニュースで取り上げられていたように何度も何度も繰り返してみるほどではないかな、という感じでした。面白かったけれど。色んな着想を得たけれど。

けど、この「天気の子」は、その「君の名は。」を観ていたからこそすごく感動して、そしてすごく心に刺さった作品だなと思いました。

 

「あの光の中に、行ってみたかった」
高1の夏。離島から家出し、東京にやってきた帆高。
しかし生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく見つけた仕事は、
怪しげなオカルト雑誌のライター業だった。
彼のこれからを示唆するかのように、連日降り続ける雨。
そんな中、雑踏ひしめく都会の片隅で、帆高は一人の少女に出会う。
ある事情を抱え、弟とふたりで明るくたくましく暮らすその少女・陽菜。
彼女には、不思議な能力があった。

           映画『天気の子』公式サイトより

 

物ぐさなので公式サイトよりあらすじを引用させていただきました。

どこにでもいる少年がある日思い立って旅に出た先で出会った不思議な女の子。文章にするとありふれた話ですし、途中までの展開はそれこそ色んな作品で見た気がすると思うような王道展開です。

(事実私は失礼ながら始まってすぐの空の白い龍で千と千尋…?と思い、少女が空からゆっくり落ちていく所でラピュタ…?と思い、帆高がビルの片隅で蹲っている所にひょっこり現れた猫にバケモノの子…と思いました。批判じゃないよ感想だよ)

まあそんな感じで、途中まではそれこそほほえましく、にこにことした気分で見ていました。陽菜が自分の力を使ってどんどん快晴にしている所なんかは、正直「あー力は災いの元…代償はいつかなんらかの形で返ってくるよ…絶対そういう展開だよね…」ぐらいには思ってました。別にそれが偉いとかそういう話ではなくて、単純にここまでずっと王道展開だよねって話です。

 

で、こっからが本題なんですけど。

まず、作中では帆高の具体的なエピソード(なぜ東京に出てきたのか、なぜ最初絆創膏だらけの顔だったのか)はあまり語られず、一貫して帆高と陽菜、そして帆高が出会った人々がメインとなっていて、そこがすごくいいなあと思いました。

前作君の名は。もそうだったなと感じたんですけど、新海監督(以下監督)は主人公とヒロインだけでなく、その周りの人々の生き方や生活まで大事にしているんだなあと感じました。

 陽菜の弟である凪をはじめ、須賀さんの家族や夏美さんの就職活動、最初に出会ったスカウトマンの木村にも家族がいることが最後でわかったり、前作の主人公たちが出てきたり。

主人公たち以外の登場人物だってその世界では生活していて、守りたいものがあったりなかったりするけれど、みんな生きている。何かしらを胸に、生きている。

特にそれを感じたのは、例えば帆高が警察から逃げて、例の廃ビルで須賀さんに捕まって問答していた後に現れた高井刑事。補導した時から様子のおかしい帆高に面倒臭さを感じとって、実際ずっとそれを隠しもせず。逃げ出された時は「このクソガキ!」を全面に浮かべて追っていた高井刑事。

そんな高井刑事ですが、帆高が傍に合った本物の銃を須賀さんに向けていた時、自分も拳銃を帆高に向けつつ厳しい表情で「撃たせないでくれよ…」と言ったシーン(多分そうだったと思う。もし万が一違う台詞だったとしても意味は間違ってないはずゴメンネ)。

決して好感度が高くない高井刑事でしたが、あのシーンで高井刑事にもやるべきことがあって、それこそ彼を一層人間らしく見せた印象深いワンシーンでした。

須賀さんと夏美さんがとても顕著でしたが、スカウトマン木村も高井刑事も、それから汗だくで動き回ってた安井刑事も、そして瀧くんと三葉ちゃんも。みんなそれぞれとても人間臭くて、すごく感情移入ができるようになっていたように思います。

ほっとけなかったり、面倒に思ったり、邪険に扱ったり、悪意を向けたり、暴力を振るったり、助けたり、アドバイスをしたり。いい面も悪い面も両方あって、誰かにとっては悪だとしても、その人にだって生きる意味がある。木村は特にそうでしたね、あんな感じでも家族がいる。赤ん坊がいた。どうかは分からないけれど、それでもあの世界で木村は生きる意味を見出しているのだろうなと。

みんなみんなあの世界で確かに生きていて、だからこそ見捨てたり、遠ざけたり、逃げたり、でもやっぱり助けたりする。それぞれの機微が多彩に描かれていて、いいなあと思いました。

 

それから、陽菜が人柱になることを受け入れるシーン。帆高に出会って、生きる意味を見出して、彼と、それから自分の弟が生きる世界の晴れを祈って、空に吸い込まれていく陽菜。

あれは確かに愛が成した事象で。

対して、いなくなってしまった陽菜を、世界に晴れを齎して消えてしまった陽菜を助け出すために、違うか、もう一度会うために。走って走って走りまくって、恩人に銃口を向けてまで、危険を冒してでも会いに行った帆高。

それも確かに愛の成せる行動で。

須賀さんが涙を流して、これ以上関わったら本当に自分の身が危うくなると分かっているのに追いかけて、現実に戻れと頬を打って。銃口さえ向けられたのに、「お前らが帆高に触るんじゃねえ!」と警官にタックルしたのも。

就活に悪影響を及ぼすと分かっていたはずなのに、なかったことにすればよかったのに、通り過ぎた帆高をバイクの後ろに乗せて、壊れるのも厭わず水の中を突っ込んで、警察に捕まるのも分かっていて帆高だけ行かせて「走れ!」とエールを送ったのも。

たったひとりの姉ちゃんと、そしてきっと姉ちゃんの大事な人と成りえた、自分が奪ってしまった姉ちゃんの青春のすべてである帆高を捕まえようとしていた警官に飛びかかった凪も。

種類は違えど、それもまた、愛があったからできたことで。

つまり「愛にできることはまだあるかい」は、帆高だけでなく、全員に当てはまることなんですよね。そしてそれはつまり、我々にも当てはまる。現実に生きる私たちにも。

前作と同じく、RADWIMPSが紡いだ主題歌によってすべてが成立し、答えが出るという、非常に美しい回収の仕方だなあと感じました。

 

そしてこれは完全に主観の話なんですけど。

前作「君の名は。」は、謂わば運命をねじ伏せて好きな子を生かして、そして世界(人々)を救ったわけじゃないですか。大きく言えばいい方向に行ったわけで。

でも今作「天気の子」は、運命をねじ伏せて好きな子を助け出したら、世界が変わってしまった。間違いなく、形を変えてしまった。どう考えたって築き上げてきたものが無くなってしまうというのは、現代日本においてマイナスでしかないわけで。大きく言えば、悪い方向に行ったわけで。

これは対比なのかな、そう思った。

監督の作品は、ずっとつながっている。けれど、選んだ選択肢がみんなみんな救いを齎すわけではない。少なくとも帆高が、そして陽菜が選んだことによって、東京は水に侵された。作中の台詞を借りるなら、200年前に戻ったのだ。晴れの世界を、なくしたのだ。

あの青い空を、あの日帆高が確かに希望を見出した、そしてあの日陽菜が確かに強く祈った、あの晴れの日を。

 

それでも、選んだ。

 

立花のおばあちゃんは、「元ある姿に戻ったのかも」というように言っていた。須賀さんは「元々この世界は狂ってんだ」という風に言っていた。街の人々は誰も彼も傘を差して、それでも普通に行き介している。街を飲みこんだ水の上を、いくつもの船が往航していた。橋の上で、お花見楽しみだね、なんて会話が聞こえた。みんな、どうなっても、普通に暮らしている。図太く、しぶとく、平然と。

彼らの選択は確かに世界の形を変えたけれど、それでも人間はそう簡単には変わらない。良くも悪くも。同時に、人間は案外なんにでも適応する。みんなみんな、そこで生きることを選んでいる。

彼らの選択は正しくはなかったのかもしれないけれど、決して間違ってもいないのだと。三年後の人々のシーンを見ながら、強く思った。

 

美しい世界を信じていて、人間を結局信じていて、愛をなにより尊んでいる。

それが監督と、あと多分野田洋次郎さんのキーワードだったのかなと、すごくすごく思った。同時に、SNSというものを疑ってもいるのかな、とも。それはほんとに個人の解釈だけれど。

この世にうつくしいものはあるのだと。

そう信じてやまないふたりが共鳴したからこそ、前作があって、今作が出来あがったのかもしれない。

 

終始美しい世界で、終始美しい物語を観れた。心からそう思います。

 

総括。

天気の子、とっても面白かったです。まだ観られてない方はぜひ劇場へ。これを見て、興味を持っていただけたら、そんなに嬉しいことはない。

色々あってマジで絶望的な気持ちになってたけど、持ち直せました。ありがとう。