どうか今は笑ってくれないか

なるようになるって!

黄色い太陽が見えなくなったとしても

ここは私の墓場、ではない。


初めまして、あるいはどうも、夏です。
好きに言うので好きに見て、または閉じてくれ。私はここに記すだけだから。

正直、こんなスパンでこんなことを書く機会が訪れると思ってなかった。
私は楽観的なオタクだ。
7人から6人になって、あれだけ大きく感じた渋谷すばるの穴を、塞がりはせずともそれすら力に変えて進んでく彼らを誇らしく思った。大丈夫と信じた。どこまでも行こう、本気でそう思った。
渋谷すばるがいない6人を、私は飲み込めていた。

色々、波紋が広がっているのはわかる。それを当然だとも思える。
だって、比べる対象が同じグループにいた。あまりにも材料が揃ってしまっている。色々言いたくなるのも、言ってしまうのも理解できる。
らしくない、という言葉を沢山見かけた。投げていいよと言って貼った私のマシュマロにも、色んな人のツイートでも、たくさんみた。
オタクである限り、それぞれ自分なりに物事を解釈する。それは対人でもそうだ。
「私が思う錦戸亮、らしくない」
つまりそういうことだ。言い方がきついとは思うけど、でもそういうことだ。
渋谷すばるとの差異や、公式に載せられた文面。もう既に決まっていた別れ、知らされた日。何もかも、キツかった。少なくとも私は、ズドンと腹に鉛が落ちた気分になった。
だって私は錦戸亮のいない関ジャニ∞など想像したことがなかったから。

でも、「らしくない」とは、思えない。

「十五祭を楽しんで欲しかったから」
あまりにも簡潔なその理由が、けれどすべてだったんだと。
情報が漏れていたことに怒るのも無理はないし、私だって嵐はできたのにな、と微塵も思わなかった訳でもない。
けれど同時に、あれだけたくさんの番組を抱えていて、たくさんのスタッフがいる中で、徹底するというのはそもそも無理な話だと思っている。飛ばし記事を根絶やしにする力が欲しい。
でも、そんな無理と思った状況の中で、最後の最後だけは守り通したとも、私は思っている。記事をまったく見てなかったからそう思うのかもしれないけど、少なくとも十五祭の期間中、私は彼らの未来に1度として疑いを持たなかった。ただただ楽しかった。嬉しかった。愛おしかった。

十五祭を、別れの場にしたくなかったんだろう。昨日イマフレと呼んで久しい友人とそんな話をした。本当にそう思う。
錦戸亮のエンターテインメントは、あの時あの場所で、確かにあった。私はそれを、目の当たりにしたのだ。
ひたすらに楽しかった。ばかみたいに腕を突き上げて、叫んで、あの瞬間が永遠に続けばと願った。かえりみち、友人たちと楽しかったね、また行きたいね、そんな話ばかりしていた。
錦戸亮が、関ジャニ∞の黄色を背負う錦戸亮が最後までしたかったエンターテインメントは、それに尽きるんだろう。そう思う。

最後の最後まで、彼は多分、「笑えー!」と叫んだあの日と同じ錦戸亮を、私にみせてくれたのだと。

この先彼がどう生きて、どうやって彼なりのエンターテインメントを届けてくれるのか、私には想像もつかない。
あれだけマルチにこなしていた人がジャニーズを出てまで届けたいもの。表舞台であればいいな、そんなことくらいしか言えない。勝手だけど、錦戸さんにはスポットライトの下に生きて欲しいから。

47都道府県ツアー。ばかだなあと思う。休んだっていいよって思う。でも止まらないんだね。止まったら休んでしまいそうだなんて、村上さんの口から聞く日が来ると思わなかったよ。
でも、やるんだよね。

今回、どうしても見て欲しいと願った友人がご縁あって十五祭に行ってくれました。嬉しかった。めちゃくちゃ楽しかったとも言ってくれた。嬉しかった。
でも友人は、残念ながら推しとまではならなかった。
それでも全然よかった、だって生の彼らを見てハマらないならもう仕方ない。それによって私と彼女の関係が変わるわけではない、とにかく見て欲しかったんだ。そう今でも思っている。
私は、そんな友人に、「ファンクラブに入ってくれないか」と言った。アホだから会費は払うと伝え忘れてしまったまま、けど「いやならすぐ抜けてもらっても構わないから」と言葉を重ねて。
友人と、どこか一回でもいいから入りたいと思って。それから、とにかく1度でも多く入りたいと、何かを考えるより先にそればかり必死になって、お願いした。

友人は、私の申し出を断った。
「47都道府県ツアーは、あなたたちを勇気づけるためのものだと思うから。絶対やめないぞ、守るんだ、続けるんだという意思を示すものだと思うから。そこに私の気持ちは相応でない」と。
そして、こう言われた。
「ファンが、終わったら抜けてもいいよって言ったらダメだよ」と。
「絶対楽しいから!って言いきらなきゃ」と。

初めて、涙が出た。
自分の情けなさに、涙が出た。

強いと、よく言われる。戦闘民族だなんだと言われ続けてきたし、仕事柄、確かに弱くはいられない場面はたくさんある。だから、私自身も、自分のことを過信していた。
過信?違う、自惚れていた。
関ジャニ∞をまっすぐ愛せていると、自惚れていた。
友人に言われた、「がんばって」が、私をふるわせた。

私は結局、2度目のさよならが受け入れられていなかったんだ。5人を、信じられていなかったんだ。
回数を重ねて、たくさんの彼らを見ないとダメなんだって、半ば呪いみたいに、してしまってたんだ。

友人のメッセージを読んで、その時初めて、私は泣いた。
錦戸亮がいなくなる現実を、そこでようやく飲み込んだ。

止まったら休んでしまいそう、だから止まらない。ならいいよ、うん、そうだね。
心配はある。けど不安はないよ。走ってくれるなら、追いかけるまでだ。
私は、推しを追いかける。どこまでも行こう。行けるとこ全部行こう。

ペンライトを初めて持った時のことを思い出した。あれってすごいんだ、光るんだよ。光って、私はファンだって、推しを照らすことができる。私の光に、光を向けることが出来る。こんなすごいことが、本当にあるんだよ。

「君たちが明日のヒカリだ 輝き続けてくれ」という歌詞がある。その時、彼らを指さす瞬間が好きだ。
「君行けばこそ道は開く!」という歌詞でも、彼らを指さす。その瞬間が何より好きだ。

錦戸亮。錦戸さん。亮ちゃん。りょうちゃん。黄色い太陽。
あなたから見たペンライトの海はどう映りましたか。最後まで、綺麗だったかな。そうだといいな。
最後に8色を見せてくれたあなたたちが、だいすきだよ。
あなたの行く先が私には見えてないけど、君行けばこそ道は開くのだと、えらそうに、私はあなたをおもうよ。
選んだルートは間違っちゃないよなって歌う君が、本当に大好きでした。

47都道府県ツアー。ばかだなあと思う。でも、大好きだな、とも思う。
離れる人も、少なくないと思う。わかるよ、だって辛いよね、しんどいよね。生きることがこんなにもしんどいのに、趣味まで辛くなるの、わらえないね。
でも、それでも、私は関ジャニ∞さんがすきだ。だいすきだ。たぶん、きっと、絶対、愛してる。
だから行くよ、またペンライトを灯して。
オタクに、私に出来ること。精一杯、楽しむこと。
だから、楽しませてくれ。笑わせてくれ。泣かせてくれ。また、笑わせてくれ。
それがあなたたちの決めたことなら、私は行くよ。
そう思える私は、きっともう弱くない。胸を張りたい。友人にまた言いたい、「関ジャニ∞っていう最高のグループが私の推しなんだ」と。
また、話を聞いて貰えるかな。


あいにく体力と根性だけはあるから。私も頑張ろうと思う。
いつもばかみたいなことを言い合える、私の大事な友人たちと、見に行きたいなと心から思う。
そしてその話を、十五祭を見てくれた彼女に聞いて欲しいと、思う。


関ジャニ∞を好きでよかった。十五祭、ほんとにたのしかった。
錦戸さん、最後まで楽しませてくれて、ありがとう。
関ジャニ∞の黄色い太陽が、だいすきでした。幸あれ。幸あれ。幸あれ。


関ジャニ∞さん、どうかどうか、これからも、よろしくね。

私の友人も、私に関わってくれる人も、みんなみんな、ありがとう。


ここは私の墓場ではない。
私はまだまだ生きていく。
走るなら、走るまでだ。

友人へ
「8色が星みたいで、夢みたいに綺麗だった」
絶対忘れない。本当に、ありがとう。