どうか今は笑ってくれないか

なるようになるって!

ももクロさんの「祝典」めっちゃ楽しかった

めっちゃよかった…。


初めましての方、あるいはお久しぶりの方、どうもこんにちは、夏です。
先日6月20日、あーりんに生きあーりんに死ぬ女さんのお誘いでももクロさんの「祝典」LIVEに参加させて頂きました。
ももクロさんのLIVEに参戦するのは2度目になりますが(前回はこちら関ジャニ∞を推す女がももクロさんのライブに行った話 - どうか今は笑ってくれないか
)、今回はきちんと予習をすることが出来たので、ワクワクしながら赴いたわけだったのですが。

むっっっっちゃ楽しかった…。

思い出はアツいうちに書けというありがたいお言葉もあることですし(?)、例のごとく愛のままにわがままに感想を綴りたいと思います。
ももクロさんのオタク、いわゆるモノノフではない人間の感想になりますし、とにかく楽しくてだいぶ記憶飛んでるところもあるので、「そういうことじゃねーんだよ!!」「ちげーんだよ!!」ってことも余裕で書くと思うんですけど、嫌なら回れ右してね。


1番最初に感じたことは、「私たちは祝典の参加者なんだ」ということ。
当たり前だと思うよね、だって「祝典」ライブなわけだし。
でもそういうことじゃなく、本当に、「祝典」だった。祝うために赴いて、祝うために参列して、儀が始まって。指示通りの動きをして、おめでとうだったりありがとうの気持ちをペンライトに勝手に込めて参加する。
最初の厳かでどこか物々しい空気感も相まって、ッシャオラ始まったァ!!!というより、只今より開始致します、みたいな。この違いわかる?わかって。


その空気感の中でPLAY!からスタートするの、マッジで鳥肌たった。
まあいつもの如くの歌詞言及から始まるんですけど、初っ端から
「進行形の線を引いた空間を抜けて次元を超えていくように 周波数をスワイプでトリップ ゲームを続けよう」
なワケですよ、つまり我々その時点で亜空間に来たワケですよ、あっそういえば最初「現実を忘れて」って言われましたねそういうことですね…なワケ、もう狂うじゃん??
「ねえちゃんと見てる? そこ 離れていても分かるから」
1階席から3階席まで全員逃す気がまるでねえ、こんなこと言われて余所見なんかしてらんないよね…わかる…

とか思ってたら
「色んな人に出会う旅をしたんだ めいっぱいの壁と闘い 今日集まってる
止まったりしない」
「どんな選択肢を選んでも 経験値はたどり着くことを知っている」

えっ………むりなんですけど………
これ、ももクロさんのことでももちろんあるし、すべての人間のことでもあるなってびりびりするくらい思った。
LIVEに行くたびにさ、みんな旅をしてるわけじゃん。その度に、あるいはそこにたどり着くまでにめいっぱい現実という壁と闘って、今ここに集まってる。止まったりせずに、ずっと。
「どんな選択肢を選んでも経験値はたどり着くことを知っている」、な、なに?日本語の頂点?
ももクロさんがももクロさんとして舞台に立ちこの歌詞うたうの、ほんとに無理でしょ。無理な気持ちをなんとか言葉にしようとしたけど無理だわ、この歌詞を前にして尽くせる言葉ない。彼女たちを見ろ、ただそれだけでいいのよな…やばい…

「解放するゲートはひとつ welcome to 次なる世界」に今我々来たし目の前にあるんよ やばじゃん ここは夢と現実の狭間じゃん…

待ってPLAY!ですでに長いんだけどどうしたらいい?続けます。


ダンシングタンク好きなオタク手を挙げハーーーーーーイ!!!!!!!!
トップオブザ最高、トップオブザ最高。以上QEDなんよ。メンバーそれぞれのオタクを殺しにかかっとった。
れにちゃんに興奮しなかったオタクおらんし、しおりちゃんにメンタル的スタオベしなかったオタクおらんし、あーりんちゃんにひれ伏さんかったオタクおらんし、かなこちゃんに抱かれんかったオタクおらんのよ。あの時あの場にいた全オタク、ももクロのオンナにされた。私がようじょだったら初恋奪われてた。正直あと1000000000000回やってほしい。


MYSTERION、とりあえずヒプマイ好きなオタクさん全員聴いたらいいと思うよ。うん。私も大好きです。
いやでも、真面目にMYSTERIONでこのライブ1つ目のターニングポイント迎えたよね。「参加者」から「当事者」になった感じというか。
「未完成の物語に 君が命吹き込むんだ」とオレンジ色のペンライト、つまりそういうことなんかなって。会場が一体になる瞬間、ここから始まる。ここで私は「始まった!!!!」って思いましたね。キネマ倶楽部でいうRoad Showみたいな。相変わらず激重歌詞をそうと思わせず歌いますよねももクロさんは…


余興・饌の儀で満漢全席から始まるの、良〜〜〜〜〜〜!みんな可愛かった…果てしなく可愛かった…。
でもあれ、なんとなく非現実的な感じがしたね。みんなが明るく楽しく歌い踊ってる中で、チャイナ服着た人達が無感情で淡々と席を片付けていく様、なんだかちぐはぐというか、まるで別々の存在のような印象を受けた。
というような話を友人としてたら、「あれはもう既に異世界なんだよ(意訳要約)」と言われて、な、納得〜!!ってなった。どこまで計算なんだろ、ももクロ陣営さんみんなこわい…すき…


BUTTOBI!桃太郎電鉄とのコラボと聞き、すんげー!ってなりました。かわいい。前山田の健一うじ、タイアップ熟すの本当にお上手ね。桃鉄×ももクロさんむっちゃ可愛いし、なんか分からんけどバックダンサーに桃鉄キャラ見えた。キングボンビーめっちゃ楽しそうに踊ってた。


ショービズ大好き芸人なんですけど、生のショービズむっっっっちゃよかった。
でもさあ、あれね、誰かを好きで現場に赴いていたオタク全員に刺さる歌だ。

「みんなで集まることさえもFantastic
そんな気づきだってあるから悪いこともlovely」
「言葉なくなっても君と鳴らしたいタンバリン」

誰もが苦しい思いして、あの時まで確かに特別だと思ってしまっていたのに、やっぱり当たり前のように甘受していたすべてが本当は当たり前じゃなかったと気づいて、そんな中で今この場で集まったことがある。そう思えたから今までを愛しく思える。
ああ〜すきだ〜(大の字)

「後悔 願い 迷いと期待 全部まとめて繋ぐ未来へ
自分へ
最高の賛辞を」

もうショービズの歌詞みんなで音読せん??抜粋したけどもう全部言いたいくらい全部やばやん。もう見て。みんなでショービズ聴こ。


HAND、聴いた瞬間「太田胃散!!」ってなったんだけど、なんていうか、この曲が太田胃散のタイアップであることがすごいな〜って思った。
頑張りすぎなくていいよ、って終始背中撫でてくれるようなおだやかさがあるじゃない。私自身は正直丈夫すぎてあんまお薬に頼らない生活してるんですけど、それでも太田胃散のイメージ爆上がりしたよね。次なんか買う時は太田胃散だよ。
「自分らしくの代償と不安ばっかりが時と共に増えても 私は私にしかなれないの 最初から知ってたはずでしょ」
のところ本当に好きです。決めるのも受け入れるのも全部自分だからこそ、自分に優しくしてね。なんとなくそんなふうに聞こえて、好きだなあと思いました。


momo、やばくなかったですか?いやごめん、ヤバくないわけなかったよね。
誓約の儀でmomoから始まるの、もうそういう事じゃん。
ごめんなさい、momoに関しては語る言葉を持たないです。私の語彙力ではとても無理です。はいみんな歌詞開いて〜。無理がそこにあるよ〜。

希望と絶望は表裏一体ってさ、よく言うけど、そうじゃなくてさ。
絶望は死と等しく誰の心にも生まれる感情だと、少なくとも私は思っていて、時として笑っちゃうぐらい一瞬で心の全てを巣食ってくるじゃない。そのまま立ち上がれなくなっちゃうことだって決して少なくない。
そんな中で、そんなふうに簡単に絶望できてしまうこの現世で、彼女たちは進むことを選んだ。歌うことを選び、あいを歌うことを選んだ。momoと誓った。
それがなんでかって、まだ見ぬ絶望する誰かのためで、今目の前にいるオタクのためじゃんか。
ぜんぶ愛じゃんか………………………………………
momo、ほんとうに、なんていうか。すごい。すごいね。
いいなあ。


なんとなく最低の日々、タイトルからして好きが溢れてたんですけど、聴いた時マジで呻いた。
2022年を生きる全ての学生ないし社会人に刺さる歌だよ…。
momoと同じで、語る言葉を持たないんですが、それでも無粋を承知で言うなら
「なんとなく最低な日々 それでもなんとなく続いていく なんとなく最低な日々 それでも光を探している」
「今を手繰り寄せていくことが難しい時代さ
立ち枯れた白い向日葵のグロテスクを何にも例えないで歌ってみる」
「どんなときも どんなときも それが美しさだと思うから!」
「どれだけ捉えどころのない様相でも切り取ってみせるよ!」
目眩した。それが美しさなんだって。切り取ってみせるんだって。
そんじゃあ生きてみるかってなるよ。なったよ。
前にも似たようなこと言ったけど、ももクロさんのこの、超巨大な生命エネルギーを全力で発してオタクにぶつける所業、圧巻だよ。もはや祈祷の類じゃない?そういやなんか右肩軽くなった気がする。10回お医者さんにかかるより1回ももクロさんのLIVE行った方がいい気すらしてきた


今回の涙ちょろりタイムこと孤独の中で鳴るbeatっ!からの手紙だったワケですが。
隣で踊り狂っていた女より、「お前絶対あそこで泣くと思ってたらほんとに泣いたからマジでウケた」と言われ恥ずかしいやらムカつくやらで複雑でした。オタク頭の片隅常に冷静なのやめーや。
祝典、参加者から当事者に変わったって言ったじゃんか。その最たる、当事者であった曲がこの孤独の中で鳴るbeatっ!だと思うんだ。
こんな時に、こんな時代に、「大丈夫さ 大丈夫って お疲れ様って君がくれた言葉だよ」
「君がくれた弱さがほら 強く僕の中で生きているよ」
ってさ そんなん泣くしかなくない?私悪くなくない??まあ確かに周り見たら私しか泣いてなかったけどさ……


からの手紙ですよ、眉村ちあきさんにお中元を贈らねばならない
涙止まらんくて記憶があれでそれなんですけど、それでも、
「積み重ねてきたものこそが僕だ」「恐れ嘆き踏み出せずにいる僕だ」「わかる わかる 気持ちが分かる」
「だから僕が抱きしめに行くよ」
「またここで会おう」
震えながらペンラ振りましたよええ 光ってないペンラを ももクロさんからのラブレター、受け取っちまったからよ…
むっちゃしんどかった 言っときますけど私普段涙脆くないんで!!!!ももクロさんのライブが感情狂わせてくるだけなんで!!!!!そこんとこ覚えといてね!!!!!!


また逢う日までで閉まるライブ、「祝典」の締めくくりとして100点満点中100000000000点満点じゃない?すべての答えここにあったし、また逢う日までなんとなく頑張って生きようってなりましたよね。体疲れたけどココロ元気みたいな ココロオドルみたいな
心が何かを話す日を夢見れる明日はきっと希望だと思うよ


レディメイも走れ!も聴けて最高だったな〜〜


祝典はさあ、おめでとうとありがとうに溢れていたんだけど、それ以上に、ももクロさんが如何にして次なる世界へ向かおうとしているか、誰に何を届けようとしているのかを如実に感じるアルバムで、LIVEだったと思う。
「あの時がよかったよね」じゃなくて、「いつだって今が最高」で、それを高らかに歌って、オタクもそれを感じて、信じるからこそ、また明日を望む。決して止まらない。
どんなに背負うものが重くても、彼女たちは自分たちが鍛え続けた足でどこまでも走り、飛んでいくのだろう。いつだってめいっぱいの笑顔で、オタクにめいっぱい手を振りながら。


行けてよかったな〜って、ただひたすらに思う最高のライブでした。
MCのみんなのクソガキ具合むっちゃおもろかったし可愛かった。
また行きたいな。混ぜてくれてありがとう!!

友人へ
連れて行ってくれてありがとう。確実に認知されてると思います。

私立恵比寿中学の「ジャンプ」が凄まじかった話

すごかった。ひたすらに。

きっかけは私の推しである関ジャニ∞さんの冠番組「関ジャム」で、確かアイドル界のすごいボーカリスト10人みたいな企画だったと思う。その中でエビ中の子たちが紹介されて、その時この「ジャンプ」がふっと流れて気になったので、YouTubeで調べて聴いた。

www.youtube.com

鳥肌が立った。ひたすらに。

こんなにもすさまじい歌があるのかと、脚色でもなんでもなく震えた。こんな歌をエビ中の子たちは歌うのか。知らなかった。

 

世界は楽しいってさ 真っ暗闇じゃないってさ 

どんな未来がみえるか わめき散らしてジャンプしよう

新しい時代の風が僕たちを呼んでいるんだ

桜吹雪が燃えている、あと何度告白できる?

 歌い出し、ちょっと投げやりな歌い方。ほんとかよ、みたいな声が聞こえてくるような感じ。それがわめき散らしてにかかってくる。

桜吹雪が燃えているという日本語、あまりに美しいのに誰もがその光景や、そこに込められた意味をすくいとれるようになってるのすごい。あと何度告白できる?とアイドルが歌うの、めちゃくちゃに鋭い現実で、だからこその真正面からの等身大の愛って感じがして好きだ。ニュアンスだけれど。

 

頬杖ついてため息まじりの胡座をかいた東京の夜空 期待どおりで思いどおりの人生じゃつまらない

非常階段を登ったらビルの屋上には一番星 

手を伸ばしたら、届きそうでさ

 期待通りに、思い通りにならないことばかりの中で、欲しいものがあるなら、怠惰なままではいられない。高く遠い空に輝く一番星に手を伸ばして届かせたいのなら、自分の足で上がらなければならない。

PVの白息やもくもくとした排気ガスも相まって、凍てつく夜空の中必死に走っている彼女たちの呼吸音が聞こえてくるような気がした。

 

だから愛を込めて 鳴らすよ 鳴らすよ

本当に大切な事なんかつきとめたりはしないで

がむしゃらに愛を込めて 鳴らすよ 鳴らすよ

馬鹿にしてくれたっていいぜ あなたが笑ってくれるなら

もう一度愛を込めて もう一度愛を込めて

ここの振り付けすごいね~~~!自分たちの胸を叩きながら拳を掲げる、 オタクが見たい光景そのものじゃん…。

愛を込める先は自分自身のからだで、鳴らすのは自分たちの声であり、心であり、魂である。

どれだけのことを言われたって、歌い続ける。愛を込め続ける。あなたの笑顔のために。

泣きますやん、そんなん。(生粋の広島人による渾身のエセ関西弁)

でも冗談抜きに、めちゃくちゃ震えたよここ。

 

毎年増える蝋燭 穴ぼこの空いた心に

おめでとうって言いながら はしゃぎ回ってジャンプしよう

 めちゃくちゃ切ないこと言ってると思ったらめちゃくちゃかっこよくすぐさま回収してくるの良~~~~~!

年を重ねることを憂いている、というか年を重ねるごとに様々なことを経験して、その中で確かに失ってくものもあるだろう。

それらすべてに「おめでとう」って肯定して、まだまだ、まだまだってみんなで追い求めながらジャンプして未来に、もっと穴を増やしにいく。

バスを降りて自分たちの足で暗闇を歩く彼女たちが歌うから余計にぐっとくる。

 

夢は見るんじゃない掴め、嵐の中を駆け巡れ

おとぎ話じゃ終われない、これは心臓のドラマだ

しんどいオブしんどいみたいな歌詞ぶつけてきますやん、無理ですやん…。

特に言及することない、というより言及できるような部分が何一つ無い。文字通り、言葉通り、歌通り。

これは、生きているひとの生きているうただ。 

 

初めてわかったよ恋の痛さ 涙を流した故郷の青さ

鍵のかかった201に歓声は響かない

分厚い扉を開くんだ 帰る場所なんてとうにないだろう

両手広げて、飛んでみるんだ

今だ

 しんどいオブしんどいパート2。内側にこもっていても何も得られなくて、外に出たからこそ初めて分かったものがたくさんある。痛みも涙も、昔の景色を昔と呼べることすらも。

帰る場所なんてとうにないだろう、が外側のくせに「そんなこと言わないで!」って思っちゃったんだけど、そうじゃなくて、もっともっと高く飛びたいから、もっともっともっともっと、あの一番星に届くように。そしてあの「今だ!」の叫び。

深夜の、NHKなんかでたまにやってるイメージなんだけど、動物の跳躍や飛行の瞬間をスローモーションで撮った映像。たまになんでかどうしようもなくぐっとくるやつ。生命のすべてって思わせられるような。

あの時の気持ちを思いだした。

 

夜から朝に。ひたすらに走って、箱の真ん前の駐車場から、果てが見えない道のまっただ中で愛を込める彼女たちのなんと美しく強く輝いてみえることだろう。

PVもずーっとよくて、メロも、それこそずっと旅をしているかのような、疾走感がありつつも郷愁を感じるサウンドが響き渡る。そこに彼女たちの力強い歌声が合わさって、本当に本当に素晴らしい楽曲でした。

烏滸がましいというか、マジのマジで何様という話だけど、もっともっと色んな人に聴いてもらいたいなって思う楽曲だった。

石崎ひゅーいと私立恵比寿中学に惜しみない喝采を上げたい。だからこうしてブログを書くことにした。めちゃくちゃ素敵だった、これはそういう記事だ。

何度でも言うが、めちゃくちゃ烏滸がましいと思う。何様だとめちゃくちゃ思う。でも、やらないよりマシだ。

 

希望の歌はときどき、あんまり眩しくて「そんなこと言われても」ってひねくれちゃう時があるけれど、この歌はとにかく力強くて、どこまでも伸びていく瑞々しい草木のようで、ひねくれる気も起きないくらい気持ちがいい歌でした。

 

めっちゃ最高の歌をありがとう!

三浦春馬の「Night Diver」が最高だった話

youtu.be

録画したMステを見る前にTwitterで流れてきたので、頃合いを見て、「Night Diver」を見た。

もう、ひたすらに、あまりにもあまりにも最高だったので、感じたままに書き綴ろうと思う。

 

最初。ぱしゃんと水たまりを蹴り、視界を両手で塞ぐ春馬くん。早送りで目まぐるしく場面展開し、目覚めるように括目した春馬くん。この時点で「うわあ顔が良い…」しか頭になかった。とにかく顔が良い。

 

「瞼閉じて映る世界 そこに君がいるならば もういっそこのままでいいや いつまでも忘れられなくて」

テンポの遅い、ゆったりとした気だるげなメロディ。真っ黒の人たちに囲まれた中、ひとり白いシャツを纏って踊り続ける春馬くん。光と影の対比のようだなと感じた。

途中ブランコのようなものに乗ってぼんやりとしている春馬くん、「彼」を見て、踊っているパートは瞼を閉じた先に映った世界なのかなと、そんな解釈をした。

「ハァ…」のあまりにも色を含んだ吐息にひええと悲鳴を上げたのはここだけの話。あれ未成年聞いちゃだめなヤツじゃない?R指定入れなきゃダメなヤツじゃない??控えめに言ってえっちでした。

 

「明日になれば治まるような 胸に突き刺さる棘の行方 知らんふりして見ないようにして 気付いたら戻れないような気がした
昨日も同じ事考えて結局こんな夜過ごして それでも嫌な感じじゃなくて」

吐息を皮切りに、少しアップテンポになってよりリズミカルになった。

明日になれば治まるようなって言ってるのに、気づいたら戻れないような気がするのは、つまるところそれが己にとっての致命傷に成り得ると無意識に気付いているからで。なかったことにはできないから考えちゃって、いくつもの夜を泳いで。でもそれはマイナスなことばかりではない、を「それでも嫌な感じじゃなくて」と収めるの、素敵だなあと素直に思う。

誰もが、とまでは言えないけど、きっと少なくない人たちが経験したであろう、色んなことを思い返して、お湯に付けたらぴりりと痺れるささくれをなぞるような、ともすれば自分自身をライターの火で焼くような、そんななんともいえない息苦しい夜を、優しく肯定している気がした。

いやまあ、めっちゃ調子乗ってキレイな感じを装って言ってみたけど、過去の自分が言っちゃったこととかやっちゃったこととか思い出して恥ずかしさと苦しみで「アアアアアアアアア」ってなる夜を言ってくれてんのかな!?って私は思いましたという…そういうやつ…。

いや分かってる普通は前半の続きと考える方が正しいのは、分かってるよ別れたあの人を思いだす夜とかそんなんなんだろうなってことぐらいは…。

でもこれはあくまで私の解釈だから!!!好きに語る!!!

でも現実(私の解釈で)の彼は目を抑えて違う、とばかりに首を振ってて、その仕草に私は葛藤とか否定とか、ともすれば「それでも嫌な感じじゃない」自分に苛まれてたりするのかなと、そんな感情を表現しているのかなあと勝手に汲み取ったりもした。

 

「きっと誰も知らない言葉が今僕の中で 渦を巻いてずっとLoop Loop Loop Loopして 吐き出そうと声を出して見てもうまくいかない
My heart beats faster Night Diver」

何かを振り払うようにグンっと力強い仕草で踊る姿。スポットライトの下で、足元の水を巻きこみながらLoopし、走り出し、蹴り上げ、歌詞通り胸の高鳴りをこちらに伝える一連の流れにただただ魅了される。もう…あの…格好いい…最高…。

「吐き出そう声を出して見てもうまくいかない」って、ここだけ見たらちょっとマイナスな力を感じるんだけど、My heart beats fastって訳すると「胸が高鳴る」とか「心臓がどきどきする」って意味で、となるとこの「うまくいかない」も決して、前の表現を借りるなら「嫌な感じじゃない」んだよね、きっと。

この歌の「彼」の中ではずっと、言い表せない感情がずっと渦を巻いていて、それは時に彼自身をも傷つけてしまうほど荒々しい渦だけれど、それでも彼を突き動かすエネルギーでもあるんかなーと。

「Night Diver」の所で色が入って春馬くんがゆっくり目を開けるの、瞼の裏の世界と現実が融合した瞬間みたいで息を呑んだ。美麗ってこういうのを言うんだな…。

間奏のダンスがひたすらに美しく力強く華麗で儚くて最高。アイドルが好きだしダンスを見るのも好きだけれどあまり知識のない私がそれでもなんとか振り絞って言うのならば、めちゃくちゃ「地」を感じるダンスだなーと思いながら見ていた。てっぺんからつま先まで力がみなぎってて、彼自身の命の輝きが生々しいライトと水に照らされて、より一層ダイレクトにこちらに届いている。そんな気がした。

しゅぱって足を上げるところに「うわっ!」って気持ち悪い声を上げてしまったのもここだけの話。

 

繰り返される「Night Diver」の中で、背中合わせの椅子に腰かけていた真っ赤な女性。虚空を見つめてぼんやり腰かけている春馬くんが、「彼」がこの映像の中で初めて認識した他者。ここで初めて、冒頭の「君」が彼女だったのかなという想像の余地ができた。振り返って焦がれるような仕草で彼女を見る所、いやらしい意味でなくセクシーでしたね。セクシー。

いやうん、分かるよ。じゃあさっきまでネチネチ語ってたアレはなんやねんとなる、分かる。でもそう感じたんだからしゃーない。ハイ続けます。

3回目の「Night Diver」でぱしゃんと水たまりを蹴ると同時に、水の中に再び入ったような演出が入るの綺麗。また彼は瞼の裏の世界に入ったのかな。そこに「君」がいるから、彼は抜け出せないのかな。

 

「あの頃に戻れるなら僕に何が出来るだろう 多分何も変わらなくて
きっと今の僕には変えられない」

もう片方の椅子により近くなるような体制で、目を閉じたまま過去に浸っているような顔。彼女を引き寄せるように手を引き寄せ、手繰り寄せる姿。切なげな顔がまた…良い…。

ちらっと後ろを振り返りつつ、「多分何も変わらなくて、きっと今の僕には変えられない」からまた俯いて自分の胸をそっと撫でるの、彼の人間的な弱さや傷つきたくない心が垣間見える気がしてひたすらにso goodって感じだった。雨と白シャツと寂しげで弱さを見せる男は大概にして色気を纏って見えるのは古今東西決まってるんだよ。決まってないなら今決まった。

 

Aの繰り返しの歌詞だけど、力強さがさっきと全然違う。

椅子に座って天高く手を伸ばす所や、こちらをじっと見る視線。そういうひとつひとつが確かな強さを宿している気がする。

と~~~思ってたら~~~~椅子に座って雨に打たれるのな~~~に~~~~~!?そういうの好きって言ったじゃん!!!好きじゃん!!!めちゃくちゃに好きだわ!!!!えっちだな三浦春馬!!!!好き!!!!!

「嫌な感じじゃなくて」の「て」の瞬間にばっと掌を上に翳す瞬間、さっきまで気だるげだった彼が徐々に己の中で渦巻いていたそれを発露させようとしてるんだ、と思った。めちゃくちゃ力強くて、切実という言葉が似合う、そんな感じが。

 

「ずっとこのままで良いわけなんてあるはずもない 弱音吐いた夜をLoop Loop Loop Loopして
情けないこの心に生きる理由を与えて My heart beats faster Night Diver」

ここ、すんごい、すんごくまんまだったね!?いやほんとに、めっちゃまんまじゃなかった!?だよね!?!

いや、「ずっとこのままで良いわけなんてあるはずもない」がさ、さっきの手のひらを上に翳した所から続いてるんだなって。歌詞通りの、彼の葛藤と苦しみとそれでも足掻くさまがありありと映し出されていて、本当に本当に魅入った。

対になった椅子に初めて手をかけて、腕で顔を隠しながらもこちらを見る「彼」が、降りしきる雨に泳ぐように打たれている。ここで彼が初めて、夜を泳ぎ出したんだと、そう感じた。

 

対の椅子に彼女が腰かけてさあ、手を繋いだところさあ。彼女は少し未練がある様子で、ちらりと彼を見たのに、彼は目を閉じて振り返りもしないのさあ…切ない…彼はもう前を見始めてるんだなって…切ない…好き…。

あのブランコの上で手を伸ばして波紋が広がるのも、降り注ぐ雫と滲む灯の中でゆっくりと目を開き上を見上げるのも、どんどん彼が前へと進んでいっている感じがして、本当に、一遍の物語を見ているような気持ちになった。

 

「記憶の中であの日を思い出す くだらないプライドばっか掲げて 知りもしないくせに適当に過ごしてばっか
呆れられて情けなくて嘘をついてた 数え切れないほどの言い訳を積み重ね 大事なもの失って 流れた涙は夜に落ちた」

今まで赤かった女性が今度は彼と一緒の衣装になり、一緒に踊っている。これ、私は「過去」と「未来」、そして「決別」と「前進」なのかなと思った。

そっと手を繋ぐあの瞬間までは「いつまでも忘れられない君」だったんだけど、このままじゃいけないんだって葛藤し続けて、それを「過去」にして、後悔しながら、もがいて、それでも進まなきゃならないんだと前を向いた瞬間、有り体に言えば彼の中で彼女は思い出となって、彼と一緒になったんじゃないかなって。

思い出を抱えて、彼は流れた涙が落ちた夜を泳ぐ。生きていくために。

 

その後のダンスはもう、圧巻の一言に尽きる。顔が見えないほどの激しい雨に打たれながら、けれど彼は力強く泳ぎ続ける。思い出と、たくさんの影と共に、また躓いたって蹲ったって、強く強く泳ぎ続ける。そして閉じていた瞼を開いて、上を見上げた。

空白の椅子にはもうきっと、誰も座らないのだろうな。そこに座っていた彼は、Night Diverとなったのだから。

 

今に始まったことじゃないけど、改めて、三浦春馬の表現する力に何度も何度も感動する。もちろん水の使い方や照明、スローモーションを入れる感性と技術、振り付け諸々あってこそとは思うけれど。それらすべての「渦」になってるのは間違いなく三浦春馬だ。なんてひとだ。すごい。ただそれだけしか言えない。本当に、最高だ。

最高の曲だ、最高のMVだ。最高の俳優だ。見れてよかった。ひたすらに最高だった。ありがとう。すべての方に、惜しみない感謝を。

 

私は、三浦春馬のファンというにはあまりに烏滸がましい。だけどこれから、私が見ていない三浦春馬の作品を見る楽しみがある。

私の中で、春馬くんはずっと泳ぎ続けるのだ。

楽しみだ、楽しみだな。ああ、すごくすごく、楽しみだ。心から言える。

本当に本当にありがとう、これからも。

黄色い太陽が見えなくなったとしても

ここは私の墓場、ではない。


初めまして、あるいはどうも、夏です。
好きに言うので好きに見て、または閉じてくれ。私はここに記すだけだから。

正直、こんなスパンでこんなことを書く機会が訪れると思ってなかった。
私は楽観的なオタクだ。
7人から6人になって、あれだけ大きく感じた渋谷すばるの穴を、塞がりはせずともそれすら力に変えて進んでく彼らを誇らしく思った。大丈夫と信じた。どこまでも行こう、本気でそう思った。
渋谷すばるがいない6人を、私は飲み込めていた。

色々、波紋が広がっているのはわかる。それを当然だとも思える。
だって、比べる対象が同じグループにいた。あまりにも材料が揃ってしまっている。色々言いたくなるのも、言ってしまうのも理解できる。
らしくない、という言葉を沢山見かけた。投げていいよと言って貼った私のマシュマロにも、色んな人のツイートでも、たくさんみた。
オタクである限り、それぞれ自分なりに物事を解釈する。それは対人でもそうだ。
「私が思う錦戸亮、らしくない」
つまりそういうことだ。言い方がきついとは思うけど、でもそういうことだ。
渋谷すばるとの差異や、公式に載せられた文面。もう既に決まっていた別れ、知らされた日。何もかも、キツかった。少なくとも私は、ズドンと腹に鉛が落ちた気分になった。
だって私は錦戸亮のいない関ジャニ∞など想像したことがなかったから。

でも、「らしくない」とは、思えない。

「十五祭を楽しんで欲しかったから」
あまりにも簡潔なその理由が、けれどすべてだったんだと。
情報が漏れていたことに怒るのも無理はないし、私だって嵐はできたのにな、と微塵も思わなかった訳でもない。
けれど同時に、あれだけたくさんの番組を抱えていて、たくさんのスタッフがいる中で、徹底するというのはそもそも無理な話だと思っている。飛ばし記事を根絶やしにする力が欲しい。
でも、そんな無理と思った状況の中で、最後の最後だけは守り通したとも、私は思っている。記事をまったく見てなかったからそう思うのかもしれないけど、少なくとも十五祭の期間中、私は彼らの未来に1度として疑いを持たなかった。ただただ楽しかった。嬉しかった。愛おしかった。

十五祭を、別れの場にしたくなかったんだろう。昨日イマフレと呼んで久しい友人とそんな話をした。本当にそう思う。
錦戸亮のエンターテインメントは、あの時あの場所で、確かにあった。私はそれを、目の当たりにしたのだ。
ひたすらに楽しかった。ばかみたいに腕を突き上げて、叫んで、あの瞬間が永遠に続けばと願った。かえりみち、友人たちと楽しかったね、また行きたいね、そんな話ばかりしていた。
錦戸亮が、関ジャニ∞の黄色を背負う錦戸亮が最後までしたかったエンターテインメントは、それに尽きるんだろう。そう思う。

最後の最後まで、彼は多分、「笑えー!」と叫んだあの日と同じ錦戸亮を、私にみせてくれたのだと。

この先彼がどう生きて、どうやって彼なりのエンターテインメントを届けてくれるのか、私には想像もつかない。
あれだけマルチにこなしていた人がジャニーズを出てまで届けたいもの。表舞台であればいいな、そんなことくらいしか言えない。勝手だけど、錦戸さんにはスポットライトの下に生きて欲しいから。

47都道府県ツアー。ばかだなあと思う。休んだっていいよって思う。でも止まらないんだね。止まったら休んでしまいそうだなんて、村上さんの口から聞く日が来ると思わなかったよ。
でも、やるんだよね。

今回、どうしても見て欲しいと願った友人がご縁あって十五祭に行ってくれました。嬉しかった。めちゃくちゃ楽しかったとも言ってくれた。嬉しかった。
でも友人は、残念ながら推しとまではならなかった。
それでも全然よかった、だって生の彼らを見てハマらないならもう仕方ない。それによって私と彼女の関係が変わるわけではない、とにかく見て欲しかったんだ。そう今でも思っている。
私は、そんな友人に、「ファンクラブに入ってくれないか」と言った。アホだから会費は払うと伝え忘れてしまったまま、けど「いやならすぐ抜けてもらっても構わないから」と言葉を重ねて。
友人と、どこか一回でもいいから入りたいと思って。それから、とにかく1度でも多く入りたいと、何かを考えるより先にそればかり必死になって、お願いした。

友人は、私の申し出を断った。
「47都道府県ツアーは、あなたたちを勇気づけるためのものだと思うから。絶対やめないぞ、守るんだ、続けるんだという意思を示すものだと思うから。そこに私の気持ちは相応でない」と。
そして、こう言われた。
「ファンが、終わったら抜けてもいいよって言ったらダメだよ」と。
「絶対楽しいから!って言いきらなきゃ」と。

初めて、涙が出た。
自分の情けなさに、涙が出た。

強いと、よく言われる。戦闘民族だなんだと言われ続けてきたし、仕事柄、確かに弱くはいられない場面はたくさんある。だから、私自身も、自分のことを過信していた。
過信?違う、自惚れていた。
関ジャニ∞をまっすぐ愛せていると、自惚れていた。
友人に言われた、「がんばって」が、私をふるわせた。

私は結局、2度目のさよならが受け入れられていなかったんだ。5人を、信じられていなかったんだ。
回数を重ねて、たくさんの彼らを見ないとダメなんだって、半ば呪いみたいに、してしまってたんだ。

友人のメッセージを読んで、その時初めて、私は泣いた。
錦戸亮がいなくなる現実を、そこでようやく飲み込んだ。

止まったら休んでしまいそう、だから止まらない。ならいいよ、うん、そうだね。
心配はある。けど不安はないよ。走ってくれるなら、追いかけるまでだ。
私は、推しを追いかける。どこまでも行こう。行けるとこ全部行こう。

ペンライトを初めて持った時のことを思い出した。あれってすごいんだ、光るんだよ。光って、私はファンだって、推しを照らすことができる。私の光に、光を向けることが出来る。こんなすごいことが、本当にあるんだよ。

「君たちが明日のヒカリだ 輝き続けてくれ」という歌詞がある。その時、彼らを指さす瞬間が好きだ。
「君行けばこそ道は開く!」という歌詞でも、彼らを指さす。その瞬間が何より好きだ。

錦戸亮。錦戸さん。亮ちゃん。りょうちゃん。黄色い太陽。
あなたから見たペンライトの海はどう映りましたか。最後まで、綺麗だったかな。そうだといいな。
最後に8色を見せてくれたあなたたちが、だいすきだよ。
あなたの行く先が私には見えてないけど、君行けばこそ道は開くのだと、えらそうに、私はあなたをおもうよ。
選んだルートは間違っちゃないよなって歌う君が、本当に大好きでした。

47都道府県ツアー。ばかだなあと思う。でも、大好きだな、とも思う。
離れる人も、少なくないと思う。わかるよ、だって辛いよね、しんどいよね。生きることがこんなにもしんどいのに、趣味まで辛くなるの、わらえないね。
でも、それでも、私は関ジャニ∞さんがすきだ。だいすきだ。たぶん、きっと、絶対、愛してる。
だから行くよ、またペンライトを灯して。
オタクに、私に出来ること。精一杯、楽しむこと。
だから、楽しませてくれ。笑わせてくれ。泣かせてくれ。また、笑わせてくれ。
それがあなたたちの決めたことなら、私は行くよ。
そう思える私は、きっともう弱くない。胸を張りたい。友人にまた言いたい、「関ジャニ∞っていう最高のグループが私の推しなんだ」と。
また、話を聞いて貰えるかな。


あいにく体力と根性だけはあるから。私も頑張ろうと思う。
いつもばかみたいなことを言い合える、私の大事な友人たちと、見に行きたいなと心から思う。
そしてその話を、十五祭を見てくれた彼女に聞いて欲しいと、思う。


関ジャニ∞を好きでよかった。十五祭、ほんとにたのしかった。
錦戸さん、最後まで楽しませてくれて、ありがとう。
関ジャニ∞の黄色い太陽が、だいすきでした。幸あれ。幸あれ。幸あれ。


関ジャニ∞さん、どうかどうか、これからも、よろしくね。

私の友人も、私に関わってくれる人も、みんなみんな、ありがとう。


ここは私の墓場ではない。
私はまだまだ生きていく。
走るなら、走るまでだ。

友人へ
「8色が星みたいで、夢みたいに綺麗だった」
絶対忘れない。本当に、ありがとう。

天気の子を見てきた話

ぼくのなつやすみ

 

初めましてあるいはお久しぶりです、夏です。

諸事情あって突如休みが出来たので、気分転換となつやすみのおもいでとして「天気の子」を見てきました。

盆最終日だしそんなにいないでしょ!と高を括っていた私を嘲笑うような満席状態で、いつも公開初日から大分経過した平日を選んで行っている私としては中々の苦痛でしたが、そんなもの吹き飛ぶぐらいの良作品だったので、読書感想文的に綴ろうと思います。

毎度繰り返す言ですが、これは私の解釈であり感想なので、これが正しいという訳でもなければまったく真逆のことを思われる方もいらっしゃると思います。それはそれとして己で以て綴るなり語るなりしてくれよな。私に何かを言っても知らねえかんな。解釈違いは回れ右してまた来世。

公開開始から約一か月経つ状況で、観られた方もたくさんおられるとは思いますが、思いっきりネタバレを含みますのでご容赦ください。

 

 

まず私は、新開誠作品にこれといった思い入れがあるわけではありません。君の名は。も結局TV放映で初めて見た程度の人間です。

君の名は。は単純にいい話ときれいな映像だったなあという感想で、いい作品だったけど、ニュースで取り上げられていたように何度も何度も繰り返してみるほどではないかな、という感じでした。面白かったけれど。色んな着想を得たけれど。

けど、この「天気の子」は、その「君の名は。」を観ていたからこそすごく感動して、そしてすごく心に刺さった作品だなと思いました。

 

「あの光の中に、行ってみたかった」
高1の夏。離島から家出し、東京にやってきた帆高。
しかし生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく見つけた仕事は、
怪しげなオカルト雑誌のライター業だった。
彼のこれからを示唆するかのように、連日降り続ける雨。
そんな中、雑踏ひしめく都会の片隅で、帆高は一人の少女に出会う。
ある事情を抱え、弟とふたりで明るくたくましく暮らすその少女・陽菜。
彼女には、不思議な能力があった。

           映画『天気の子』公式サイトより

 

物ぐさなので公式サイトよりあらすじを引用させていただきました。

どこにでもいる少年がある日思い立って旅に出た先で出会った不思議な女の子。文章にするとありふれた話ですし、途中までの展開はそれこそ色んな作品で見た気がすると思うような王道展開です。

(事実私は失礼ながら始まってすぐの空の白い龍で千と千尋…?と思い、少女が空からゆっくり落ちていく所でラピュタ…?と思い、帆高がビルの片隅で蹲っている所にひょっこり現れた猫にバケモノの子…と思いました。批判じゃないよ感想だよ)

まあそんな感じで、途中まではそれこそほほえましく、にこにことした気分で見ていました。陽菜が自分の力を使ってどんどん快晴にしている所なんかは、正直「あー力は災いの元…代償はいつかなんらかの形で返ってくるよ…絶対そういう展開だよね…」ぐらいには思ってました。別にそれが偉いとかそういう話ではなくて、単純にここまでずっと王道展開だよねって話です。

 

で、こっからが本題なんですけど。

まず、作中では帆高の具体的なエピソード(なぜ東京に出てきたのか、なぜ最初絆創膏だらけの顔だったのか)はあまり語られず、一貫して帆高と陽菜、そして帆高が出会った人々がメインとなっていて、そこがすごくいいなあと思いました。

前作君の名は。もそうだったなと感じたんですけど、新海監督(以下監督)は主人公とヒロインだけでなく、その周りの人々の生き方や生活まで大事にしているんだなあと感じました。

 陽菜の弟である凪をはじめ、須賀さんの家族や夏美さんの就職活動、最初に出会ったスカウトマンの木村にも家族がいることが最後でわかったり、前作の主人公たちが出てきたり。

主人公たち以外の登場人物だってその世界では生活していて、守りたいものがあったりなかったりするけれど、みんな生きている。何かしらを胸に、生きている。

特にそれを感じたのは、例えば帆高が警察から逃げて、例の廃ビルで須賀さんに捕まって問答していた後に現れた高井刑事。補導した時から様子のおかしい帆高に面倒臭さを感じとって、実際ずっとそれを隠しもせず。逃げ出された時は「このクソガキ!」を全面に浮かべて追っていた高井刑事。

そんな高井刑事ですが、帆高が傍に合った本物の銃を須賀さんに向けていた時、自分も拳銃を帆高に向けつつ厳しい表情で「撃たせないでくれよ…」と言ったシーン(多分そうだったと思う。もし万が一違う台詞だったとしても意味は間違ってないはずゴメンネ)。

決して好感度が高くない高井刑事でしたが、あのシーンで高井刑事にもやるべきことがあって、それこそ彼を一層人間らしく見せた印象深いワンシーンでした。

須賀さんと夏美さんがとても顕著でしたが、スカウトマン木村も高井刑事も、それから汗だくで動き回ってた安井刑事も、そして瀧くんと三葉ちゃんも。みんなそれぞれとても人間臭くて、すごく感情移入ができるようになっていたように思います。

ほっとけなかったり、面倒に思ったり、邪険に扱ったり、悪意を向けたり、暴力を振るったり、助けたり、アドバイスをしたり。いい面も悪い面も両方あって、誰かにとっては悪だとしても、その人にだって生きる意味がある。木村は特にそうでしたね、あんな感じでも家族がいる。赤ん坊がいた。どうかは分からないけれど、それでもあの世界で木村は生きる意味を見出しているのだろうなと。

みんなみんなあの世界で確かに生きていて、だからこそ見捨てたり、遠ざけたり、逃げたり、でもやっぱり助けたりする。それぞれの機微が多彩に描かれていて、いいなあと思いました。

 

それから、陽菜が人柱になることを受け入れるシーン。帆高に出会って、生きる意味を見出して、彼と、それから自分の弟が生きる世界の晴れを祈って、空に吸い込まれていく陽菜。

あれは確かに愛が成した事象で。

対して、いなくなってしまった陽菜を、世界に晴れを齎して消えてしまった陽菜を助け出すために、違うか、もう一度会うために。走って走って走りまくって、恩人に銃口を向けてまで、危険を冒してでも会いに行った帆高。

それも確かに愛の成せる行動で。

須賀さんが涙を流して、これ以上関わったら本当に自分の身が危うくなると分かっているのに追いかけて、現実に戻れと頬を打って。銃口さえ向けられたのに、「お前らが帆高に触るんじゃねえ!」と警官にタックルしたのも。

就活に悪影響を及ぼすと分かっていたはずなのに、なかったことにすればよかったのに、通り過ぎた帆高をバイクの後ろに乗せて、壊れるのも厭わず水の中を突っ込んで、警察に捕まるのも分かっていて帆高だけ行かせて「走れ!」とエールを送ったのも。

たったひとりの姉ちゃんと、そしてきっと姉ちゃんの大事な人と成りえた、自分が奪ってしまった姉ちゃんの青春のすべてである帆高を捕まえようとしていた警官に飛びかかった凪も。

種類は違えど、それもまた、愛があったからできたことで。

つまり「愛にできることはまだあるかい」は、帆高だけでなく、全員に当てはまることなんですよね。そしてそれはつまり、我々にも当てはまる。現実に生きる私たちにも。

前作と同じく、RADWIMPSが紡いだ主題歌によってすべてが成立し、答えが出るという、非常に美しい回収の仕方だなあと感じました。

 

そしてこれは完全に主観の話なんですけど。

前作「君の名は。」は、謂わば運命をねじ伏せて好きな子を生かして、そして世界(人々)を救ったわけじゃないですか。大きく言えばいい方向に行ったわけで。

でも今作「天気の子」は、運命をねじ伏せて好きな子を助け出したら、世界が変わってしまった。間違いなく、形を変えてしまった。どう考えたって築き上げてきたものが無くなってしまうというのは、現代日本においてマイナスでしかないわけで。大きく言えば、悪い方向に行ったわけで。

これは対比なのかな、そう思った。

監督の作品は、ずっとつながっている。けれど、選んだ選択肢がみんなみんな救いを齎すわけではない。少なくとも帆高が、そして陽菜が選んだことによって、東京は水に侵された。作中の台詞を借りるなら、200年前に戻ったのだ。晴れの世界を、なくしたのだ。

あの青い空を、あの日帆高が確かに希望を見出した、そしてあの日陽菜が確かに強く祈った、あの晴れの日を。

 

それでも、選んだ。

 

立花のおばあちゃんは、「元ある姿に戻ったのかも」というように言っていた。須賀さんは「元々この世界は狂ってんだ」という風に言っていた。街の人々は誰も彼も傘を差して、それでも普通に行き介している。街を飲みこんだ水の上を、いくつもの船が往航していた。橋の上で、お花見楽しみだね、なんて会話が聞こえた。みんな、どうなっても、普通に暮らしている。図太く、しぶとく、平然と。

彼らの選択は確かに世界の形を変えたけれど、それでも人間はそう簡単には変わらない。良くも悪くも。同時に、人間は案外なんにでも適応する。みんなみんな、そこで生きることを選んでいる。

彼らの選択は正しくはなかったのかもしれないけれど、決して間違ってもいないのだと。三年後の人々のシーンを見ながら、強く思った。

 

美しい世界を信じていて、人間を結局信じていて、愛をなにより尊んでいる。

それが監督と、あと多分野田洋次郎さんのキーワードだったのかなと、すごくすごく思った。同時に、SNSというものを疑ってもいるのかな、とも。それはほんとに個人の解釈だけれど。

この世にうつくしいものはあるのだと。

そう信じてやまないふたりが共鳴したからこそ、前作があって、今作が出来あがったのかもしれない。

 

終始美しい世界で、終始美しい物語を観れた。心からそう思います。

 

総括。

天気の子、とっても面白かったです。まだ観られてない方はぜひ劇場へ。これを見て、興味を持っていただけたら、そんなに嬉しいことはない。

色々あってマジで絶望的な気持ちになってたけど、持ち直せました。ありがとう。

ももクロ5thアルバム『MOMOIRO CLOVER Z』にボッコボコに殴られた話

勝手にしやがる!

 

お久しぶりの方も初めましての方もいらっしゃると思いますがどうも、夏です。

以前「天国のでたらめ」という楽曲のあまりの最高さに思わず筆を取ったわけですが。

例の如くイマジナリーフレンド、略してイマフレ経由で、ももクロさんの5thアルバム『MOMOIRO CLOVER Z』と、かつ限定配信であるat東京キネマ倶楽部のライブを視聴し、ボッコボコに殴られまくったんで、やっぱり感想を綴ります。オタクそうして生きてきた。新陳代謝

 

まず最初に言っておきたいのが、ももクロさんの福利厚生が行き届きすぎて度肝を抜きました。

10周年・5枚目のアルバムという記念すべき年ということで、イマフレ抜きにしておめでとう!と思っていた頃。ある日彼女たちの公式サイトを拝見し、衝撃を受けました。

全部フルで見れる…だと…?

ちょっと意味が分かりませんでした。えっそういうのって30秒とかそれぐらいで公開するモンじゃないの…?長くてもAメロからサビまでとかじゃないの…?全部って何…?し、しかも全部映像ついてる…!

恐れ戦きながらも、全部視聴しました。本当に本当に激ヤバコンテンツだった。時間泥棒にもほどがある。さながら私はクラリスだった(クラリスに謝れ)。毎度ありがとうございます本当に最高。

 

東京キネマ倶楽部でのライブ演出があまりに最高だったので、今回はこちらを主体にして綴ることにする。

 

不穏な声と不穏な世界観から、高らかな宣誓と共に幕が上がったライブ。ド派手なメイクと豪奢なドレスを纏った強いオネーサマのスカートから現れるももクロさんたち。もうこの時点でハイこの世界最高ありがとうおめでとうという感じでした。

そもそも「あ、これ絶対最高のアルバムだ」と確信できるのが一曲目という点において最高なわけなんですけど。

それではこれから長々語っていくので、暇人はよかったら付き合ってね。すべては私の解釈なので苦手なら去ってくれ。

 

1曲目のロードショーは、このアルバムのコンセプトをすべて説明してくれているだけでなく、ももクロさんの歴史を祝福しているようでいて、その実彼女たちアイドルももいろクローバーZのあり方を堂々と歌っているという、なんかもう全部乗せみたいな最高の歌。

「予期せぬことが起こる可能性もございます その際はぜひお楽しみください」

ももクロさんのライブの特徴(外の私的に)である、何が起こるかわからないけれどもそれを楽しみにしていてね、という注意文句を装った誘いに思わず笑みが浮かびました。

「これから皆様はこのShowの一部になります この出逢いに深く感謝申し上げて開幕!」

最高か?(最高か??)え~~~~~めっちゃすき…。

舞台は観客と共に創りあげるもの、とよく言いはするけれど、一部っていう言葉の選び方があまりに好き。こんなに簡潔に一体感を作り上げる歌詞 is 何?最高。開幕!のとこの百田さんはやはり世界を抱いている。

「はじまれ!ここは自分に還る場所」ってもうヤバくない!?分かる!!(?)

始まりと還るというある種矛盾したワードをここまで成立させれていることもすごいし、Showの場を自分に還る場所、とアイドルが歌っているそれがもう…私の語彙力ではエモいとしか言えない…くやしい…エモい…。

「現実なんて裏切って 夢の手を引いて走り出せ」ってすごいですね。追いかけるんじゃなくて、ももクロさんたちにとっては夢すら追い越してるんだな。いつだって自分たちがしあわせの世界に導くつよさをあんなに可愛らしく凛々しく歌い上げるんですか…すきですね…。

これはイマフレにも話したんですけど、大人たちは兎角ももクロさんたちに激重歌詞を歌わせるのが好きだなって思います。何?「生まれた以上生きねばならぬ」って。急に激重発露されすぎてびっくりしちゃった。本質と言われればそれまでなんだけれども、それにしても急に直球で来るから…好きだけども。

「不可能だって可能になりそう」はそれこそももクロさんらしさ!という感じで大好きなんですが、その後の「飛び込め! おたがい虜になって 目に映るすべてを彩れ」ってハァーーーー!?さいっこうなんですけど!?!?!とバチキレました。

前にも言ったしその際友人たちも口をそろえて言っていたけれど、ももクロさんの現場は愛の循環がすごいなあと本当に思っていて。差し伸べた手を握り返されるというのは言葉よりずっと難しくて、言葉以上に歓喜がある。「おたがい虜になって」はそれぐらいのパワーがあった。

ほんとロードショーだけでもう既に長くなってしまう予感がすごいので強制終了を己にかけますが、本当にオープニングとしてすばらしい一曲でした。

あっあと演出がマッジでやばかったですねアレ!!それぞれのスタンドを生で見た気分というか、こう、もうとにかく強かった。百田さんが世界抱いてたとしかいいようがないし、しおりちゃんは爆イケが過ぎたし、れにちゃんはもう美しいのに可愛いとかいう暴力だったし、あーりんちゃんがあの…すき…アイドル…ってなりました。スタンドは美しくて強い。

 

そんなこんなで続いての曲、The Diamond Fourなんですけど、チョ~~~~かっこよくないですか?何度も何度も言っている気がするけど、やっぱりももクロさんは戦闘力高い物言いが様になる。「ついてこい! まだ物足りない!」というキラーフレーズに拳突き上げないオタクがこの世にいるのか?私はハングリー精神を爆裂アイドルスマイルで歌い上げるひとたちが本当に大好きです。

これに関して言うと、私はあーりんちゃんの「羅針盤上は波乱万丈でも満場一致で埋める伽藍堂」が歌詞としても好きで、その表現の仕方がぐうの音も出ないほどすきです。なにあの荒々しい感じと並行するビューティ。かっこいい…と蕩けたことしか私には言えない。めちゃすきです。

あとやはりここでも大人たちはももクロさんに激重を乗せる業が発揮されてますけど、

「人は皆そうwicked monster どうしたって止められない!」のとこ、私は英語に疎いのでググったら「邪悪な」とかいう意味合いがあるので、最初は邪悪な化け物って意味か…重い…って思ってたんだけど、よくよく調べたらスラングで「最高!」とか「すげえ!」とかいう意味もあるそうで。

これは深読み面倒オタクとして興奮するポイントではありましたが、そういう表現を持ってきておいてからの「洗いざらいに Show the light!太陽みたいに!」っていう強烈な「陽」に充てられて邪なあれがすべて浄化されました。ももクロさんは太陽、いいね?

「マルっと笑って誓っちゃおう!」のトコ、本当にいいなあと思います。誓う、という真摯で重たいそれを、歌詞どおり最高の笑顔を浮かべて歌うんだから。ももクロさんの笑顔がダイヤモンドだからこそ、こちらも同じくらい笑えるんだなあと思いました。

 

GODSPEEDはとにかくキラキラしていて、流れた汗も流した涙もあの日の希望も絶望も、今感じている痛みでさえ抱えて走る、そんなしなやかな強さが眩しい曲だなと思います。

「静寂を乱して踏み出す瞬間の ふわりと浮かぶ感じが好き」という歌詞がすごく好き。一見抽象的に見えるんだけど、でもすごく分かるなあと感じる一文で、またそれをさっき「宇宙1うるさい注意!注意!」って歌ってた人たちが歌うからなおさらにグッとくるんですよね。ライブ栄えもすごいするし、セトリに入ってたら嬉しい楽曲だと個人的に思った。

 

あんた飛ばしすぎ‼に関してはもう何も言うことはないっていうか、ただ言わせてもらうなら

バット持った瞬間の百田さんの立ち振る舞いがとっても治安悪くて最高とか、

しおりちゃんのポージングがあまりに爆イケで吐き捨てるようなスーパーサブのとこがただただ好きとか、

あーりんちゃんが椅子に座っているところ、頼むから踏んでくれと懇願する人間量産機と化してる罪作りとか思ってたらまさかの腕立て伏せしてる人間に座る演出(でも限りなく空気椅子状態)最高とか、

れにちゃんの手をパンパンパンって鳴らしてるとこあまりに美しき女すぎるし階段上ろうとしてる自身のスタンドをぱしーんとシバくとこもあまりに華麗なる魔女という感じで、つまりだから最高というただそれだけ…。

 

まああの、私の関ジャニ∞さんたちも結構確信犯的にやってるからね、耐性はそれなりにあるんですけどね?それにしてもあんた飛ばしすぎ!!からの魂のたべものはあんまりじゃないです?私の情緒が死んだし、友人の言葉を借りるけれどグッピーだったら100匹は死んでる。温度差で風邪こそ引かないけど卒倒する。そーいうとこツボなのさ…。

魂のたべものを語るにはもう一記事書かねばならないんでちょっと控えるんですけど、まあ分かりやすく生者と死者の境界線があるじゃないですか。絶望の坩堝、死への恐怖、諦め。

そこから、一転するのではなく、ゆっくりと立ち上がって上を見上げれば遠くに光が見える、までを描写するその毅然とした覚悟。打って変わってではなく、立ち上がるまでを描く生々しさと、それこそ生きるものだけに持ちえる強さを魅せる手腕。最後の最後には確かにある希望で終わるという、世界の一致。平伏すしかなかった。

どこまでもオタクなので、こういう、言ってしまえば針の山の頂上にぼろぼろの服を纏って裸足で赤い涙を流しながらそれでも上を見上げるみたいな世界観がどうしようもなく好きなんですよね…オタクだから…そしてそれがまた想像できるももクロさんのふり幅がすごい…私の中のノブが叫びたがっている…

これはアルバムの中でも簡潔がゆえに文字数の少ない歌詞で、だからこそ一層際立つ楽曲だなあと思いました。めちゃくちゃすきです。

 

幕間の、いい意味で作られたワイワイ、という感じがすごくすき。正しくShowの一部だからこそ分かち合える空間で、それを作る製作陣の所業に私はただただ感服するしかない。

 

この後に来るRe:Storyってなんなん?グッピー大量虐殺したいの?私の涙腺はボッコボコですよ勘弁して欲しい…ただでさえRe:Story大好き人間なのに…。

コレに関しては本当に、語ることすらできない。ただ好き。だからキネマ倶楽部の方を主体に少しだけ語ると、「狭い狭い世界だからこそ手を繋ごう」という歌詞と、それを歌う百田さんと、繋ごうの「う」の後の伸びがもう…ただ世界を抱いている…人は皆彼女にいだかれそのゆりかごでたゆたう…(魂のルフランを流せ)

あのこれ、本当に大好きだから何も語れないです。ただただ聴いちゃうし、ただただ泣いちゃう。コレ聴くと涙が出るから気軽に聴けもしない。それぐらい大好きです。大好きだから、これはここで止める。

だからキネマ倶楽部の演出もほとんどない状態なのも400分かるだった。わかる。本当に分かる。あれはそういう曲。そこも含めてとてもすきです。

 

リバイバルは魂のたべものとはまた違った意味でふり幅がでかいな!と感服しました。私の粗末な語彙ではこれを言い表すのが非常に難しいんだけど、率直に言えば「K-POPっぽい!」でした。そしてそれは多分、というか間違いなく計算だというのも分かる。PVを見て一層そう思いました。

私はインストもとても好きで、民族音楽みたいなのも好きで、だから単純にリバイバルの中華的な雰囲気漂うメロディはとてもすきでした。でもだからこそ伝わるんだ、歌詞が激重だってこと…。

正直で出しからなんだけど、サビに「息吹のリバイバル」とか「息吹のリカバリー」とか入れ込んでくるのすごいし、最後に至っては「命のリストレーション」はあまりにもえぐい。命の還元。生きる意義。いや、重い。

重いこと言ってるくせにメロディがポップでノりやすいという罠、諸葛孔明と名付けよう。

 

キネマ倶楽部の構成があまりにすきだったのでそっちメインで書いちゃうんだけど、華麗なる復讐もすっごくよかった!あれだけ強い楽曲の世界観をどう描くんだろうと思ってたらちゃんと沿ってたし、とにかくみんなカッコよかった。しおりちゃんの「お前をぶっ倒してやる」を言われたいオタク全員居酒屋集合な。

怒りに満ち満ちていた復讐者を描きつつの「運命というShow 君が主役」は(復讐者にとって)中々痛烈な皮肉だなあと最初私は思ったんだけど、復讐者が殺したのは自分って回収がされた時「ハーーー!」って声上げたよね。サビで言われっぱなしの男じゃなかったぞベンジェンス。お前の復讐は為された、立派に生きろよ…。

ああいう世界観もまた私は大好きなので、この楽曲はお気に入りのひとつです。

 

MORE WE DO!めっちゃかわいかった。わたあめ良かったね…かわいいね…平和だ…でもやっぱり「夢に犠牲 なんとなくなるのはもういーよー」で「ほらねぇ!!!」ってなりました。手ひどく裏切りやがる。

「誰のために歌うたうの?」って言っといて最後「からだからずっと歌があふれてる それはきっと この先のもっとまぶしい世界を だきしめるよ」になるのずるいにも程がある。汎用したくないんだけど世界抱いてる。オタクはももクロさんに抱かれてるから実質バブちゃんです。五歳です。五歳だから説明できなくてもいいんだ。最高です。バブー。

「つかんだ夢も吐き出して」って中々聞いた事のない歌詞ですよね。だってみんな夢をつかむために走ってる。でも彼女たちは確かに夢をもう掴んでるように見えるわけで、でもだからこそ吐き出す。吐き出してまた進む。夢のまたさらに先、もっとまぶしい世界を抱きしめるために。神話の話ですか?

わたあめを持つ女の子たちを見ている我々こそがバブちゃんだった、そんな曲でした(なんて?)

 

レディ・メイ語らなきゃいけないですか?しんどいオブしんどいみたいなとこあるんですけど…。

いやだってそもそもGLIM SPANKY持ってきた時点でもう私が負けることは分かりきってたんですよ、でもそんなに殴らなくたっていいじゃないか…息抜きをさせてくれ…。 

バチクソ大人チックにスタンドマイクを持って、バチクソイケメンな顔面で「天使だって羽を脱ぎたいの」って歌うんですよ?よくあの現場のオタク死ななかったな。大丈夫?生きてる?絶対死んだでしょ。弔ってはやんないぞ羨ましいから。

「春の夜の悪魔」になってる推しが見たいオタク一億四千万人いるし、悪魔が踊らせたみんなを置き去りにして夜明けと共に消える春の幻に惑わされるオタクは三億五千万人ぐらいいる。悪魔じゃなくてほんとは春の幻だったとかそんなん、な、なに…?私はどうしたらいいの…?石油掘り当ててくればいいんですか…?

そんでさ~~またあの演出がさ~~~無理よりの無理じゃん???髪かきあげるあーりんちゃんはオタクが見た幻じゃないよね?ネイルが美しい小指をこめかみに当ててまなこを輝かせながら歌うれにちゃん美しき悪魔だよね???わかる。

いっぱいいっぱい語りたいところがありすぎてキャパシティ超える状態なんだけど、とりあえず最高ということだけは記しておく。記さずとも分かるけれど。

 

Sweet WandererはそれこそCMでも御馴染みなので可愛いことなど1000も承知の助だったんですけど、改めてやっぱももクロさんたち可愛いし大人になったな~~!きれいだな~~~!!!車のCM出れちゃうんだもんな~~!!!!

「今日は頑張らなくていいから どこまでも自由にいこう」と優しく言ってくれるのも大好きなんだけど、「明日頑張る君のために どこまでも自由にいこう」といってくれるあなたたちがやっぱり大好きだな。

頑張らなくていい、って言ったって、どうしたって明日も頑張っちゃうわけで、でもそれすら分かってくれる、「私のために歌ってくれる」と思わせてくれるアイドルとても好きだ。だからまた頑張れる。そしてまた会いに行く。あっ循環…!

つくづくももクロさんの楽曲は強くて、それと同じくらい愛があるなあと思いました。

 

天国のでたらめ

summersm.hatenablog.com

こういうことです。

アルバムとしていうのなら、「魂のたべもの」とこの「天国のでたらめ」が一緒になってるのは単純にヤバいなあと思います。フルボッコ。顔面は崩壊する。目がパンパン。無理。

相変わらずすごい曲ですね。志摩先生お元気ですか。お中元を贈りたいです。

 

The Showは、まさにエンディングに相応しい一曲でした。古い8ミリフィルム特有のノイズと古ぼけた映像の中、紙吹雪舞い散る舞台上に笑顔で立つ4人とダンサーさんたち、という情景が浮かぶような、そんなすばらしい楽曲。

実際ライブの方でもまさにエンディング!と言った演出で、大団円、という言葉がこの上なく似合う、素敵な終わりでした。

「くじけそうになるけれど 本当はこわいけど 平気な振りして考えすぎず 人生というショー 楽しみましょう」

一貫して伝えてくれていることであり、彼女たちはずっとそうである。と改めて思わされたこの一曲は、つまるところこの一文に集約されているような気がします。

戸惑い、恐れ、悲しさ、悔しさ。そういう『弱さ』があることを受け入れて、それでもすべて抱えて、君とこのショー(人生)を楽しんでいたいんだ。

ももクロさんが魅せてくれるショーの観客は本当に幸せだなあと、つくづく思います。

 

長短差はあれど、全部の楽曲を浚って、そして改めて思ったのは、このアルバムは本当にいいアルバムだなあということ。

10周年、5枚目という記念すべき数が重なり、タイミング的にもベストを出したっていいと思う。

だけど彼女たちはまったく新しいアルバムを引っさげ、高らかにうたう。「ショーを楽しもう」と、本当に楽しそうにうたいおどる。

幻想だといわれようと、私は確かに彼女たちが「自ら選んだアイドルという道を信じ、愛し、楽しんでいる」姿をこのアルバムを通して見たのだ。

アイドルは偶像である。私が見ているのは、彼女たち、そして彼らがその命でもって創り出した「アイドル」だ。

だけど、だからこそ、それは「本物」だと信じている。彼女たちは生きている。オタクが照らし出す光のまんなかで、ここが居場所なんだと笑ってくれている。

どんな未来があろうと、ずっとずっと強く進む、という意思を確かに感じた、そんな最高のアルバムだった。

 

いつもいつも、楽しませてくれてありがとう。本当に素敵でした。10周年おめでとう、今年の11周年も楽しみにしています。

 

関ジャニ∞さんも、15周年を迎えました。ライブ、楽しみです。

 

友人へ

今年も楽しもうね

 

 

追記

11周年おめでとうございます!!

新しい未来を迎える今、古い私へ

本が好きだ。

私は漫画も雑誌もすべからく愛しているけれど、今回は小説に限った話をしようと思う。
ハードカバーの煌びやかで重厚でありがたみのある感じもとても好きだが、どちらかというと文庫本のサイズ感とつるりとした感触の方が好きだ。
帯が付いてると理由もなくテンションが上がるし、表紙にはいつも目を奪われるし、後ろにあるあらすじや解説を見るのも大好きだ。
だから本屋さんはいつだって楽しいし、目当てがなくたって行くと必ず長居してしまう。単純に、見るのが楽しいからである。
そのくせ何も買わずに出ることもままあるので、生粋の本好きとは名乗れない。ああ私の悪い癖(突然の右京さん)。


先日、仕事が少し早く片付いたので、本屋に立ち寄って文庫本を3冊購入し帰路について、疲れていたので本を読むこともせず、泥のように眠った。
仕事が忙しく、不幸自慢ではないがろくに休みが取れない状況が続いている。本を読む時間なんて取れる気配すらない。そんな暇があれば、購入した先日と同じように間違いなく布団に入って死んだように寝る(じゃあなんでブログ書いてんだよと思う人もいるだろうけど、これはもう新陳代謝のようなものと思って欲しい。悶々とした思考を文章にすることで整理がつく人間は一定数いるのだ)。
その際購入したのはエッセイと詩集と、それから小説。どれも帯がついていた。
小説の方は元々好きな作者のもので、欲しかったけど買いそびれていたものだったから即決。エッセイと詩集は私が今まで見たことの無い作者だったけれど、表紙と帯、それからタイトルがユニークで琴線に触れたので購入した。
頭の中で2000円いかんぐらいかなー、と簡易的な計算をしつつレジに向かえば、2000円と端が出た。消費税8%が頭に入ってなかったなとそこで気がつく。10%に値上げすることを思うと心底憂鬱になるけれど、計算のしやすさだけでいえば10%の方がいっそ楽だよなと思うのは私だけではないだろう。閑話休題
決して高所得者ではないし、どちらかといえば間違いなく低所得者の方に分類される身分ではあるけれど、それでも高いとは思わなかった。当たり前にその金額を支払って、ホクホクとした気持ちを抱えて書店を出た。ああ楽しかった。心からそう思った。


と、いう話を、昨日車内で後輩相手にした。たわいない世間話。の、はずだった。
いや確かにそうだったはずなのだけれど。むしろちょっと楽しみができたんだよぐらいのノリで話したのだけれど、後輩はちょっと不思議そうな声色でこう言った。

「本屋なんかもう何年も行ってないですね、見るとしても電子書籍だし。本って場所取るし、第一高いじゃないすか、ハズレだったときにショックが一際でかいっていうか。本ってなんか古いしダサくないすか?」

後輩のこの一言で、私は一気に思考の海を漂うハメになったのだ。
まあその時は私の中にあるスイッチがオンになってたので、ちょっとお叱り申しあげたけれども。…優しくしたよ???いやホントに。


音楽業界でもそうだけど、時代が急速に動いて、個人の意見ではあるが、今や「電子時代」といっても過言ではないほどに電子が主力になっていると思う。
紙やCDといった容量も容積もあるものが、「ファイル」という小さなデータとなって、大きな本棚ではなく、スマホやパソコンといった機器の中に収まるようになった。

核家族化が進み、少子高齢化も進み、高齢者若者問わず、1人で暮らしている人間が多くなったと思う。当然それに比例して、賃貸住宅の人が多くなっているはずだ。
長寿アニメのひとつである「サザエさん」のような家族は、田舎は別として早々お目にかかるものではない。
実家暮らしの方の話はここでは一旦置いておいて、余程の高所得者でない限り、賃貸住宅に住むほとんどの人が当初から向き合う問題がある。

つまりはそう、「スペース」だ。

私の住まいは大都会ではまったくないから、いわゆる四畳半とかそういう極端に狭い部屋というわけではないのだけれど、それでもやっぱりこのスペースにはいつも頭を悩ませる。どこに何を置くか、それによってまた部屋が狭くなる、いやしかし。いつもその戦いをしている。


服だって好きだし、化粧だってするし、雑貨も好きだ。食べることや飲むことも大好きで、仕事関連の物もたくさんある。恥ずかしながら我が家にはものが溢れかえっている。
そしてそれらと同じほどのスペースを、CDやDVD、それから上記で語った本たちが陣取っている。私の部屋には本棚が沢山あるのだ。それらを置くための本棚が、たくさん。そしてその本棚に空白はない。
それらに頭を悩ませることがない訳では無いけれど、滅多なことがない限り、買わなければよかったと思うことは、ない。少なくとも私は。

それを踏まえて、話を元に戻そう。
後輩と私は一貫して仕事で係わっているだけに過ぎず、プライベートで関わることは一切ない。彼がどうしようが知ったことではないし、逆もまた然りだろう。なんだったらキャットファイトを繰り広げることもままある。彼は何かにつけて私のことを否定したがる側面があるので、今回のこれもその延長線上だったのかもしれない。
そんなふうに、いつものような反論じみた物言いで放たれた言葉はしかし、確かに私の中に波紋を呼んだのだ。


電子書籍を否定する気は一切ない。
私のスマホの中には漫画アプリが入っているし、漫画ではあるが電子書籍で購入した経験もある。小説だってスマホで読むことだってある。
実際、便利で手軽だ。形のない分いくらか安いし、現実として嵩張ることも無い。1冊買っても10冊買っても、現実の本棚は空のまま。それ1台に全てが集約され、いつでもどこでもパッと好きなものを開いて読むことが出来る。なるほど文明様様だ。
音楽に至っては1曲だいたい250円、下手したらガチャガチャよりも安い。流行りの曲をお手軽に購入してダウンロード。
カップリングもなく、それ単体だけ楽しむ。推しているアーティストでなく、その1曲だけが気に入っているのなら確かにCDを買うよりよほど効率的で合理的だ。

歌い手や書き手がどれほどの思いを込めても、毎月、毎週、毎日のようにたくさんの新たな作品が一斉に画面に並ぶ。いくらかの容量にまとめられた、2次元化したファイルとなって。
膨大なデータに囲まれた世界。私はそんな生活に慣れながらも、どこか寂しさを感じずにはいられないのだ。


本屋もCDショップも、昔に比べたら激減しただろう。こんな時代だ、ある種必然とも言える。
ゴールデンボンバーがいつだったか「CDが売れないこんな世の中じゃ」という曲を出していた。嘆きと怒りと、そんな時代でもそれでもやっていくんだという覚悟のようなものが伝わってくる1曲だ、気になった方はこれを機に聴いてみてほしい。
そんな風にネタになるぐらいには、「娯楽品」が売れなくなっているのは間違いないだろう。
ちなみに私は上記ふたつとも大好きだ。店のレイアウトや陳列、オススメに記載された説明文。それぞれのコーナーの特徴。それらを見るのはとても楽しい。丁寧に作られた場所は見ているだけで尊敬に値する。見るだけで楽しい、私にとっての遊園地。いやごめんさすがにこれは盛った。でも楽しいのは事実ですハイ。

時代の需要と供給、というものがある。流行り廃りがあるように、時が進めば求めるものも変わる。当然だ。
不景気で、私のように思うように時間が取れない人はたくさんいて、モノは溢れてるけど、現実的にも心境的にもスペースがない。そんな時代に、私達はいると思う。


そんな時代でも、もとい、時代関係なく。私は本が好きだ。付け加えると、CDも同様に大好きだ。
表紙の色彩や光沢、帯のお得感、紙の匂いや手触り、ページを捲る音。終わっていく実感、読後に鳴るパタンという特有の柔らかな響き。
没頭できる内容に付随するそれらすべてを、私は愛してやまない。CDだってそうだ、ジャケットに施された創意工夫や歌詞カードだって、どれもこれも大好きだ。
時間が無くたって、いや時間が無いからこそ、それらは私を救ってくれる。食べる気力もなく、体はクタクタで眠いはずなのに眠れない日々の中で、それらは確かに私に「感情」を齎してくれた。


いつだったかこれも忘れたが、Twitterである呟きを見かけた。確か3DSのソフトだったと思うが、最近のゲームソフトには説明書がないものがあるという。ソフトに備わっているし、印刷代などの削減も多少なりとあるのだろうが、それがなくなったというのは私にとって少なからず衝撃的だった。
説明書に書かれてあるキャラクター紹介なんかを見るのが好きだった。帯が好きなのも多分似たような感覚だと思う。
そういうものが、少しずつ失われていく。それは、とても寂しい。とてもとても、寂しい。いつかは慣れると分かっているからこその感傷なのだろうけれど。

色んなものが削ぎ落とされていって、最終的に残った「完璧なモノ」とやらを、果たして私は受け入れられるのだろうか。そんなことを思う。
電子書籍が悪い訳ではもちろん無いし、オタク気質と言われればそれまでなのかもしれないが、それでも私は形あるものの方が好きだ。たくさんの作り手が係わって織り成したそれらが、私は好きでたまらない。ボロボロになったって、それごと大事にしていきたいと思っている。


そして何より否定したかった(実際反論しまくった)のは、本がダサいとかいうその意味がわからなすぎる偏見極まりない意見だ。
人生において何かを始めるというのは楽しみやドキドキ、少なからず不安が付き物だ。だけれどその分労力がいるし、口で言うほど簡単でもない。いや簡単なんだけど、決して楽ではない。

ゲームや音楽、それから本は、手軽にその「始まる楽しみ」が味わえる贅沢な嗜好品、だと私は思っている。
物語に一喜一憂して、時に教養を得て、疑問を呼び、苦悩しつつ、呑まれながら、読後に一丁前に善し悪しを考えて、それから誰かに感想を言いたくなる。SNSが発達した今は、それがきっかけで知り合える人だっている。
まさしく「心を潤してくれる、人間の生みだした文化の極み」だろう。エヴァ劇場版、複雑な心境で楽しみにしてます。


便利で手軽でたくさん収納出来る、魔法のような電子書籍ドラえもんに憧れ、ドラえもんがいる未来を夢見た子どもの頃の私は、きっとこれに目を輝かせたことだろう。
けれど、ドラえもんがいないことを知り、それでも、いつか遥か遠くの未来で実現するかもしれないと夢想する大人の私は、間違いなくたくさんの紙と人の手によって造られた本を見て生きてきた私だ。
紙の、モノの時代ではなくなりつつある今でも、それを買い続ける所存である。
「データ」は素晴らしい。だけど、それと同じくらいに、「紙」だって素晴らしいのだ。

いつ読めるかはまだ分からないけれど、3冊の本を購入したことを後悔はしていない。面白くなかったら、ちょっと悔しくはなっちゃうだろうけど。
でも、また本を買うだろう。新しい世界を知るために。始まりの楽しみを味わうために。
モノを買い、楽しむのは私の生きがいのひとつである。


この記事を見てくれたあなたへ。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
よかったら、気が向いたらでいいんで、本屋やCDショップに出向いてみてください。
きっと楽しいから。